遍路紀行 25日目 (1997年3月21日) 激しい雨,降り続く

行程 

久万町のガーデンタイム~44番大宝寺久万町)~45番岩屋寺上浮穴郡美川村)~再びガーデンタイムまで   歩行距離 22キロ (延べ783キロ)

この日の出来事など

1.今日は44,45番打ち終えた後、再び久万町のガーデンタイムまで打ち戻る行程となる。一日の歩行距離22キロは後で判ったことだが36日間の遍路行のなかで一番短い歩行距離であり、本来ならばルンルンの歩きで終わる一日が降りやまぬ豪雨によって悪戦苦闘する一日となった。朝8時ホテル出発。不要な携行品は部屋に残し、リュックを出来るだけ軽くする。44番までは2キロ弱。目と鼻の先だ。雨が激しい。大宝寺の寺域に入る。鬱蒼とした杉木立が続き豪雨のため天地晦冥し薄暮同然である。8時30分、44番打ち終わる。これで札所の半分をを無事打ち終えさせていただいた。なんとなき達成感。

 ところで、杉と言えば遍路旅のいつの頃からか鼻水、くしゃみ、目のかゆみという花粉症の症状を自覚するようになった。これまでは小生花粉症完全無罪。早春これだけ山中を這いずり回ってスギ花粉を浴びていれば無罪でいるのがおかしい。以来、春2~3月はうっとうしい季節である。お大師さんから頂いた四国土産である。

2.八十八ヶ所中の難所は12,20,21,45,60,66番札所への遍路道が有名であるが、わけても45番が最難関というのが定説である。この激しい雨中の険しい登山行を思うと一抹の不安がよぎる。大宝寺での納経を終え、さて45番岩屋寺ルートへの挑戦だ。県道を行かず、大宝寺裏手から山中に足を踏み入れる。旧遍路古道である。。悪路に泥濘。滑って転ばぬのが不思議なり。滝のごとき奔流が道を塞ぎ、足元は言うに及ばず体をも奔流が叩く。登山靴だけは高価なイタリア製を履いていたので、靴の内側にまで雨水がしみ込んだり流れ込む被害は避けられた。靴だけは、かくのごとき長距離歩行にあっては投資を惜しんではならない。水が入れば足の皮膚がふやけて皮が剝ける。これでは商売にならない。さて、9時頃古道の山を辛くも抜け出て立派な自動車道の県道に合流し河合という集落を通過する。住吉橋という橋を渡る。短い橋であった。雨の中、通りすがりのおばあさんから「おへんろさん、橋の上では杖を突いたらあかんで」と言葉のお接待をいただく。大洲市十夜ヶ橋の故事の通り橋上での杖突歩行はご法度也。ついうっかりしました。南無大師遍照金剛。

3.10時県道を逸れ、八丁坂遍路登山口への脇道に逸れる。勿論、県道をこのまま進んでも岩屋寺に行けるが、八丁坂は遍路転がしの古道である。歩き遍路たる者この道を行かぬ法は無い。歩き遍路の名が泣くか。八丁坂は標高785メートル。45番岩屋寺石槌山系の岩山で標高650メートル。登り下りの繰り返しが続く。これが心理的につらい。苦労して登った挙句、今度は下れという。下れば再び登りが待っている。これが勿体ない。いっそのこと、山から山に吊り橋でもーーーー。また、お大師さんに叱られる。意外に早く午前10時20分峠に着く。これより岩屋寺まで1.9キロという道標が立っていた。しかしここからの1.9キロは豪雨とぬかるみの悪路との苦闘であった。途中視界が開け、見れば雨雲は頭上にあらず眼下に広がっていた。10時50分雨煙の中から岩屋寺の山門が突然現れた。

4.11時過ぎ45番岩屋寺打ち終わる。カルスト地形の景観に息をのむ。奇岩怪石の大山塊群。本堂は山塊の絶壁にしがみつく様に建っている。休憩所でお接待の牡丹餅をいただく。雨で冷え切った体を熱い渋茶と赤々と燃える石油ストーブが蘇生させてくれる。それに沢庵大根がいかにも渋い田舎漬けで、都会住まいではめったに口に入らぬ絶品の味。さて濡れた雨具や衣類もすっかり乾いた。44番~45番の往還は上段でも触れた通り全行程にわたり県道が整備されている。打戻のルートは遍路古道の八丁坂は遠慮させていただき、距離は長いが楽な県道自動車道を使わせてもらう。マイカーや団体バスで45番に来る遍路達は八丁坂などの歴史的古道の存在も知らずに、県道ルートで運ばれてきて岩屋寺門前町で下車、これより先は自分の足で本堂まで行かねばならない。下車したら延々と山門まで伸びる石段が目に飛び込んできてこれに圧倒される。山門まで登り20分は要するであろう難関である。老若男女,貴賤を問わずここは自分の足で登らねばならない。確か,駕籠は無いはずだ。圧するように高く立ちはだかる山塊を前に諦める遍路も多いとか。門前町の茶屋の人の話である。小生の場合はこの逆となる。往路の八丁坂コースは門前町と山門の高低差をのみこんで直接山門脇に達するので打ち終わった後はこの石段坂道を下って門前町に降りたつ。

5.復路、県道を下る途中で国民宿舎古岩屋荘を見つける。昼食にかやくうどん450円。ここで、軽自動車を住居代わりに鍋釜まで積み込んで、八十八ヶ所を巡り続けているという70代ぐらいの男性遍路と出会う。坊主頭の半僧,半俗か。国民宿舎の従業員とも顔馴染みらしく乱暴な言葉遣いだ。真正遍路か、俗人奇人か、つかみどころ無し。カリスマ遍路かと思えば、嫌味な俗臭をまき散らす。ほどほどのお相手で別れる。

6.雨は一向に降りやむ兆し無し。疲労は足の運びと直結している。45番への今朝の往路は44番大宝寺裏から遍路古道の山道を辿って距離を稼いだが、疲れ切った体にはあの悪路泥濘の古道を再び歩く勇気も無く、遠回りになるが整備された県道を歩き続ける。往路には当然通らなかったトンネルがあった。峠御堂トンネル650メートルであった。往路はこの峠越えで苦しんだが、トンネルという文明の利器は有り難い。歩道がないので危険ではあったが、豪雨関係なく6分で通過。往路の苦闘がまるで嘘のようだ。意外に早く午後2時ホテル帰着。雨は依然激しい。軍靴のようなウォーキングシューズに雨によるダメージ全く無し。Trekking Shoes”TARAS BOULBA"、made in Italy。足は守られたが、雨によるわが身への打撃は激甚。身体がとにかく重い。今日で25日目の遍路行であるが、距離は25日中最短の22キロ、疲労は25日中最悪のコンディションであった。明日は晴れとか。お大師さん、お頼みします。