遍路紀行 21日目 (1997年3月17日) 晴れ

行程

観自在寺門前きのくにや旅館~宇和島市丸の内宇和島リージェントホテルまで

歩行距離 37キロ(延べ662キロ)

この日の出来事など

1.北宇和郡三間町の41番龍光寺はここより48キロ。足掛け2日の行程だ。午前7時前旅館出発。快晴、気分爽快、さあ今日も40キロ近く歩きぬけるように!56号線は山間部へ緩やかな長い長い一直線の登坂路となって伸びている。地図によればこの辺りを八百坂と呼ぶ。今は国道が遍路道となっているが、八百坂とは遍路古道の名残の古称であるようだ。残念だが古道の面影どこにも見られず。途中、人影皆無の八百坂を珍しく一人で歩き上ってゆく老婆を追い越す。声を掛けたら本当に驚いた顔つきで、こちらが恐縮。土地の人だから経験上こんなところを他人が歩いているとは思いもよらなかったのであろう。それほどにこの辺りは自動車の世界である。「お接待や」と言って飴玉数個いただく。

2 .8時15分、御荘町室手を通る。ここが登り坂の最頂地点で、国道の両側は山を削り取ったような 切通風の峠になっている。峠から下りになるや,眼下にパッと宇和の海が飛び込んできた。室手海岸、初めて見る伊予の海である。御荘町はここで終わり、これより南宇和郡内海村柏に入る。波音も優雅な室手海岸は土佐の海とは佇まいも違って、これこそ紛れもない伊予の国の海であった。

3.9時10分、柏郵便局前を通る。撮影済みフィルムと先日故障した腕時計を自宅へ送り返す。局員7~8名、みんな明るく親切だ。お茶をいただく。頑張ってと多くの声援に見送られ、郵便局前で56号線と別れ柏坂越えの小道に入ってゆく。暫くは人家が続く。道も緩やかな登りである。しかし前方に壁のように立ちはだかる山が待ち構えている。楽もあと僅かである。9時半、柏坂登り口着。ここより柏峠を越えて再び国道56号線と合流する大門という人里まで7.5キロ、所要約3時間との案内板あり。平地なら1時間15分程の距離だが苦闘約2時間を費やし山からストンと落ちる感覚で国道56号線の大門バス停に着いた。柏峠の最高点は450メートル。直登、急坂の人一人がやっと通れる遍路古道を塞ぐ岩石、倒木と格闘する2時間であった。

4.大門バス停は既に北宇和郡の津島町域にある。バス停前に茶店あり。缶入り甘酒を一気に飲み干す。実においしかった。如何に体が疲れていたかの証明であろう。11時半、鴨田という村落通過。既に56号線は平坦な自動車道であるが、津島市街まで1時間を要した。この間、56号線の沿道は白蓮、椿が延々数キロにわたり咲き乱れ、白と赤の競い合いに心奪われるひと時であった。特に白蓮は路傍にも人家の庭にも至る所で満開の饗宴であった。

5.伊予の犬もよく吠える。柏坂より下りの山峡の村落では、放し飼いか野犬か雑種の中型犬3匹、牙を剥いてひつこく小生を追ってくる。実は峠を下る途中の山の中腹辺りから下の山里で犬がほえているのは分かっていたが、何のことは無い、遥かに小生の気配を麓で感じ取って小生に向かって早く下りてこいとばかりに騒いでいたようだ。止める人は誰もいない。無人の里か。それだけに、なかなか引き下がらない。手持ちの飴や菓子を撒いて騙そうとしても匂いをかいただけで迫ってくる。幸い襲われずに済んだが、金剛杖で戦う覚悟を一度は決めた。とにかく、犬、蝮、トンネルは遍路の難敵だ。体験で判ったことだが、犬にまとわりつかれたら恐れず、無視して振り向かず、大地を闊歩することだ。犬にも縄張りがあるのか、いずれは諦めて遠吠えで終わる。

6.12時20分、56号線は水満々とたたえる大河のごとき岩松川を渡る。津島大橋である。津島町の中心街に入る。右に岩松川、左に町役場、郵便局、学校、商店、旅館などがポツン、ポツンと間をおいて並んでいる。この町は獅子文六の戦後の疎開先で、ここを舞台に小説”てんやわんや”を発表している。川に沿って見事な大木ばかりの桜並木が続いている。

7.午後1時前、国道56号線中最長の松尾トンネルに到る。とんねる脇に”ジュテーム”というフランスケーキ店があった。豪華なシュークリーム2個立ち食い。この店は今夜宿泊の宇和島ビジネスホテルの社長の持ち店の由。寂しい山中のケーキ店は去る11日の37番寺への途中の”ナポレオン”に次いで二軒目だ。

 さて、松尾トンネル。1710メートル。出入り口両端でカーブしているので、先が見えない。閉所恐怖症の遍路には疫病神だろう。1時22分トンネルを出る。17分かかった。段差のある歩道が整備されていて思ったより楽な通過であった。襲い掛かってくるような自動車のタイヤの摩擦音と排気ガスに耐えられれば、山越えよりはるかに楽だ。トンネル中間点で津島市より宇和島市に入る。トンネルを出れば、宇和島市街への長い下り坂であった。

8.午後3時宇和島リージェントホテルにチェックイン。遍路旅初めての洋式ホテルだ。部屋は小さいが、バス、トイレ完備。久しぶりに周りに気を遣わずにすむ解放感を味わう。洗濯衣類を素早く乾燥させるために持参しているヘアドライヤーも、今夜は騒音を気にすることもなく使えた。ついでに蒸れた軍靴まがいの登山靴も思い切り乾燥させる。靴の内部の手入れは長距離歩行の要諦である。ホテルではあるが土地柄遍路も宿泊するのであろう、地下駐車場隅に洗濯機と乾燥機をサービスしてくれている。嬉しい配慮。

 夕食は外で。ホテルの勧めで雑誌、テレビで全国区の鯛料理の丸水(ガンスイ)へ行く。何はおいても鯛めしを注文する。1700円。ちょっと贅沢な散財だが、今夜一夜はおゆるしを。あまりの美味に鯛雑炊を追加注文する。1000円。胃袋に収めたくない。いつまでも舌の上で味わっていたい。鯛めしは活造りの鯛一匹分の刺身を秘伝の卵入り醤油味のたれ汁に投げ込み、汁ごとご飯にぶっかける海賊料理である。まだ5時頃で客も少なく、仲居さん達も暇なのか、破戒遍路を珍しがって体験話を聞きたがる。もてるということは遍路でも悪い気持ちはしない。思わずも饒舌になる。反省。彼女たちの激励を背に表へ出る。外はまだ明るい。ネオン街のど真ん中。春宵一刻値千金。何となくやるせなき春の夕べ也。ホテルは宇和島城公園前。仰げば宇和島城が聳えていた。朝食付き一泊6415円。