四国遍路の事ーーーおわりにーーー

 37日間に及ぶ遍路紀行の投稿終わりました。終わってみれば400字詰め原稿用紙207枚分になりました。投稿冒頭文中で簡単に自己紹介しましたように、82歳の爺様にとって2月20日より本日3月27日まで連日キーボードを叩けるか一抹の不安がありましたが、無事終わりました。遍路に譬えれば通しの1200キロの完歩です。

 まさに20年前の体験ですが、既に記録として纏めていたものに加え、いまだに鮮明に残る記憶をベースに加筆、修正したものが今回の遍路紀行です。数年前の事柄であっても「記憶にありません」と証言して一向に憚らぬヒトもいますが、道中会った人の顔つきは流石に忘れましたが、風景の一こま、一こま、その色合いや道中で起こった事柄は走馬灯のように次々思い起こされます。20年を経過した今、市区町村名などは統合、合併により呼称が変わり、旅館.民宿.金銭感覚や町中の佇まいも激変しているでしょうからこういう面では役に立たないと思います。しかし人との出会い、人の情け、孤独の不安、やり遂げようとする気持ちや勇気等をこの紀行文から忖度できるかもしれません。

 参考までに、私が頑張り通した背景にあるエピソードをご紹介します。歩き遍路をすることを知った年来の我が悪友が「お前、3日位で戻ってくるなよ」と言って、ケラケラと笑ったのです。この”ケラケラ”はさすがに忘れられず、頑張りの原動力になりました。今では感謝です。

 特に私は信仰心が篤いわけではありません。ましてや神秘主義者でもありません。若き日の空海が唐に留学して学び日本に流布した密教の国家鎮護、即身成仏と言う現世利益を強調する宗派には斜に構えざるをえません。しかし四国を歩いていると、大師の学問哲学などは表向きの事象であって、裏の事象である大師の四国における足跡から見える大きな人間愛が巷の人々をして理屈抜きで大師を敬愛させている主因ではないかと思うようになりました。ゆえに、「お大師さん」なのです。正直、四国の37日間は南無大師遍照金剛と唱えることで心が浄化、緊張から解放されるカタルシスを体感できたかと思っています。

 屁理屈をならべてすみません。今、私はそのKHATARSISにあると思います。伝えたいことをお伝えしました。四国の体験を絶対風化させず、あと僅かな余生ですが人から愛される人間形成に努めます。駄文お読みいただき有難うございました。

 なお何か質問事項おありの時はコメント欄にでもご投稿いただければ、私のメールアドレスなどお知らせいたします。それでは御縁あることを祈りつつさようなら。