遍路紀行 24日目 (1997年3月20日) 曇り

行程

内子の新町荘旅館~上浮穴郡久万町のプチペンション.ガーデンタイムまで

歩行距離 40キロ (延べ761キロ)

この日の出来事など

1.午前8時旅館出発。56号線を20分ほど松山方面へ歩く。内子町を流れる狩野川とこれより遡行してゆく小田川の合流点に架かる内子橋を渡って、ようやく56号線と別れ国道379号線に入る。小田川を右に見ながら遡行して山間に入ってゆく。382メートルの長岡山トンネルは幅も広く段差のある歩道もあって安心。9時15分和田トンネル(190メートル)を過ぎる。大瀬という集落を379号線は縫うように走る。小学校、郵便局、タクシー営業所、商店が道沿いに並んでいる。大瀬は桃の産地で知られている由。周囲の風景に見合うこの里の呼称は”桃源郷”を措いてほかにない。

2.10時45分、突合分岐に到る。山は深い。ここで内子町から上浮穴郡小田町突合に入る。44番の在る久万町は隣町であるが、言うは簡単。そこまで行くのに険しい山々の山越えが手ぐすね引いて待ち受けている。久万へはこの突合分岐で2ルートに分かれる。国道380号線を選んで新真弓トンネルから久万へ直行するか、国道379号線をそのまま辿って過疎の広田村を経由して560メートルの下坂場峠と790メートルのひわ田峠を越えて行くかの2ルートだ。伝統的遍路古道のひわ田峠越えにする。

3.突合分岐からの379号線は山峡を行く道路だが快適なドライブウエーである。おそらく地元出身の代議士先生たちの与力に与ったものか。車も人も皆無。この道の行く先は愛媛県下でも有名な過疎の地の広田村だ。以前、NHKテレビが報道していたので覚えている。生活道路にしてはあまりにも豪華に整備された国道だ。広田村で379号線と別れ、県道42号線に入る。12時半、臼杵部落集会所前通過。人の気配は無いが、菜の花が勿体ないほど贅沢に咲く山郷だ。

4.ここで県道42号線とも別れ辛うじて車が通れる細い山道に入る。いつの間にか獣道のような悪路になって、午後1時下坂場峠登り口に着く。ここで昼食。旅館用意のお握り弁当を頬張る。雨がかかるので、木の下で立ち食いだ。1時10分峠越え開始。遍路転がしの始まり。急坂直登して県道42号線に再び合流。1時25分なり。小田町/久万町の境界標識あり。既に下坂場峠なのか、ここは?そうとすればあまりに呆気なき登坂。

5.緩やかな下りの県道を進む。葛城神社という社を通過。ここで左折。午後1時40分、ひわ田峠まで2.1キロと表示のある峠登り口に着く。ダンジリ岩を経て午後2時15分峠到着。ここに久万町役場まで2.8キロの道標あり。もうすぐだ。意外に雨中であるにかかわらず順調な行程だったと喜んだのは誤りであった。悪路が雨で更に悪路と化す。泥沼に岩石。上るも下るも危険極まりなし。必死。お大師さんの金剛杖だけが頼りである。展望がパッとひらけて久万町の全容が眼下に収まって見える。40キロ近い歩きの成果か。久万町は標高550メートルの高地にある盆地で、四国の軽井沢と呼ばれるリゾート保養地である。もうそこだ!

6.午後3時、ガーデンタイムに着く。久万町の中心街は高知/松山を結ぶ国道33号線が縦貫しているが、この辺りは産業道路と言うより観光道路の印象強い。片側2車線にも拘わらず車の通行量極めて少ない。4車線の沿道に洒落たホテルや土産店が並んでいる。どこかおっとり、のんびりした風情が漂っている。信州のリゾート地に匹敵する四国の高原保養地である。高原のため周囲に山が無く道路の道幅も広いので何かモダーンな風合いを醸し出している。今日のような雨天の午後でも何故か空気が澄明に感じる。ガーデンタイムも瀟洒なプチホテルであった。

7.遍路行程上ここで二泊する。素泊まり2日で13040円。食事は朝夕食堂でできる。暖炉の薪木が盛んに燃える食堂はついに2日間朝夕ともに小生一人だけの貸し切りであった。平日はこんなものかも。小生にとっては大変心落ち着く時をもてた。ホテル裏で洗濯機を使っていたら脇で女性従業員たちが暖炉用の薪を手斧で割っている。年甲斐もなく私にもやらせてと手に唾していざ挑戦してみたが、見事に失敗歯が立たず。テレビのドラマでは簡単に割っているが、実際にはそんなものではない。夕食にホテル特製のカレー980円を食す。30センチx40センチ位の大皿にビーフカレーと180グラムの久万牛ステーキを盛りつけたもの。あまりに美味であったので、翌晩も同じものを注文したら、フロントの女性が余程お気に召しましたかと話しかけてきた。明るさを絞った室内照明の下で暖炉の燃え盛る火が辺りを照らす。かすかに流れるムードミュージック。人は我一人のみ。静かなり。遍路という通常の印象から見れば不似合いのムードである。お大師さん、今日明日と都会風にかぶく遍路をどうぞお目こぼしください。