遍路紀行  3日目 (1997年2月27日) 晴れ

行程  

11番藤井寺~12番焼山寺名西郡神山町)~13番大日寺門前のかどや旅館まで(徳島市一宮町)  歩行距離 38キロ (延べ76キロ)

この日の出来事など 

1.ふじや旅館7時出発。カーデガンと予備用の靴の処分を女将さんに頼む。2日間歩いてみて悟る。とにかくリュックを軽くすること。13番寺は宿の隣で再度参拝。本堂左横に12番焼山寺に到るかの悪名高き遍路転がし登り口あり。急坂の悪路に踏み込む。八十八ヶ所それぞれのご本尊である八十八体の風化した石仏群が佇立して遍路を見送って下さる。人ひとりがやっと通れる急坂難路に倒木、岩石が道を塞ぎ、胸を突く登りが遍路を妨げ苦しめる。2月下旬の早朝にも拘わらず満身の汗と荒い息遣い。10歩登っては10歩登ってきた下を見下ろし、今度は10歩登る上を見上げて立ち止まる。亀の歩みだ。一人遍路でよかった。同行者あれば、このようなマイペース歩行は出来まい.。所どころ、猫の額ほどの平坦な場所に休憩所もある。突然展望が開けて遥かに吉野川が眼下に。昨日渡った阿波中央橋が霞んでいる。昨日参拝した寺々は吉野川流域越しの奥に見える山並みの麓にあるのだろう。遥か彼方だ。人の脚力の凄さ。12番への道のりはまだまだ遠い。今、喘ぎ登ってきた山が左に見える。

2.8時10分長戸庵に至る。ここまで3キロ強。平地なら30分の距離。この庵は大師ゆかりの番外札所だが、荒れるに任せた無人のいほりだ。杉の巨木に囲まれ昼なお暗い。この辺りのみ平坦な地形だ。庵と呼ぶには名ばかりの粗末な木造りである。野宿なら何とか雨露を凌げるか。うっかり足を踏み込むと床が抜け落ちそうだ。心経読誦。

3.9時、同じく番外札所の柳水庵参拝.。庵主老夫婦がここを守って、宿泊もできる由。背の高い広縁越しに声を掛けたが応答なく、納経を済ませて立ち去る。庭に樋を通して山水が流れ落ちている。手に掬って飲む。甘露なり。遍路への優しい心遣いがありがたい。再び山中に踏み入る。送電線を山から山に渡す鉄塔がこの山、あの山と谷越しに随所に立っている。四国電力の補修作業員数人が作業中であった。『今日は」と挨拶をかわす。資材搬送のヘリコプターがホバリングして待機している。彼ら作業員もここまでヘリで送迎されるそうだ。山中深く、人と出会うのは嬉しい。

4.10時過ぎ、一本杉庵に到る。急坂を登り切ってもう先には山は無かろうと思った峠から弘法大師立像が高く大きく遍路を見下ろしておられた。仰ぐような巨像の記憶だけが残っていて、申し訳なきことながらほかの事は覚えていない。庵は無かったと思う。よほど疲労困憊していたのだろうか。

ここから本日初めての下りとなる。小生は下りが大好きだ。跳ぶように距離を稼ぐ。間もなく舗装された道路にストンと下り立つ。犬の鳴き声が聞こえる。後で判ったことだがここは左右内村(ソウチムラ)という山間の寒村。ここで右に進路をとって自動車道路を更に山奥へと進むべきところを、左に折れて人里のほうへ下り始めた。本能が上りよりも楽な下り坂のほうを選んだか。どうもおかしいと、農家の庭先に回って道を尋ねようとしたが、犬に猛烈に吠えられ人もいない様子で諦める。漸く農作業中の老婦を見つけて尋ねる。不得要領だがどうやら道を間違えたらしい。今来た道を後戻りする。相当の距離のを無駄にした。村道は山を登るに従い細く林道のような険しい道になってゆく。地図を見てもいまどこにいるか見当がつかない。二股の分岐点に来る。右か左か,何かヒントになるようなものが無いかウロウロ探したが徒労。ままよとリュックをおろして道端に座り込んで休憩。10分ほど経ったら小型トラックが来た。これぞ奇跡、天祐だ。普通なら、こんな鳥も通はぬような場所では何時間待っても犬も通るまい。それが僅かの休憩で仕事中の村の老人に出会うとは!正解は左に進路をとれ。苦しい登りの悪路である。左右内村の村道にストンと合流したとき今日の登り歩きはこれ限りと思い込んだ気の緩みが、再びの登攀を心理的にも一層苦しいものにする。遍路3日間の経験で判ったことだが、遍路山道に限り木の枝に道標代わりに赤い布切れが括り付けてある。しかるにこの道にはそれが無い。また間違えたか。町中で迷うのとはわけが違う。募る不安。今度こそ誰にも会えまい。急坂を登る喘ぎが高まるにつれて不安が同調する。山を二つ、三つ越えたであろうか、やっと木の枝に件の道しるべが結び付けられているのを発見。地獄に仏!

5.12番焼山寺には,斯くして予定より1時間以上の遅れで12時10分辿り着く。小生の足では平地ならば2時間少々の13キロを5時間要して歩く。12番焼山寺を打つ。遍路案内資料では境内の茶店の饂飩が美味とある。しかし、営業は3月より。残念。急に空腹を覚える。宿のお握りは山中で食べてしまった。とにかく直ぐ腹が減る。非常食用のカロリーメイトを齧りながら13番大日寺を目指し山を下る。

6.玉ヶ峠を越えるため再び登りである。杖杉庵という大師古跡を通る。峠への途中集落を過ぎる。田中食堂と看板あり。どこから見ても田舎の素朴な老奥さん,何も無いがとぶっかけ饂飩に卵を割って食べさせてくれる。ご飯と沢庵がこれについて、たったの400円。素朴な味が嬉しかった。近所のおばあさん達も加わって賑やかなひと時。元気回復。玉ヶ峠への登り道は段々畑が道ずれだ。段々畑から遥か下のほうの田中食堂を振り返り見たら,おばあさん達が手を振って別れをおしんでくれていた。長閑な、気だるいような春うららの暖かさに包まれた山間の一情景はいつまでも忘れえぬ懐かしい思い出である。玉ヶ峠は右も左もどこを向いても長閑な梅の里であった。

7.峠の山中にも農家らしい集落があった。峠の道は生活道路だから舗装されている。初老の主婦が走り出てきて「お遍路さん、どうぞ」と蜜柑のお接待を頂く。歩きながらいただく。美味しい!梅林と蜜柑畑だらけの峠の下り道。なんとなく豊かな気分である。

8.農家の集落、特に山里を歩いていて迷惑するのは犬が多いこと。町中と違い滅多に通る人間も居ないし偶に通る人があっても近所の顔見知りであろうから犬も吠えまい。町中では許されない犬の放し飼いもここでは不都合は無い。しかし、異邦人の遍路は大変困る.。リンリンと鈴を鳴らして胡散臭い奴が通る。格好の退屈しのぎだ。柴犬程度ならどうということも無いが、えてして犬相の悪い見るからに獰猛そうな奴につき纏わられるから厄介だ。玉ヶ峠の山里だけで3回、5匹。一度は堪忍袋の緒が切れて杖で身構えたが大事にはいたらず。歩き遍路には犬と蝮と長いトンネルが大敵である。

9.玉ヶ峠の下り道、はるか眼下の渓流は鮎喰川の源流であろう。この川は徳島市内の河口付近では吉野川と並行するように流れている。峠より見る鮎喰川の流れはあくまでも清く、穢れを知らぬ気である。周りは梅、梅、梅一色である。峠を下り終え里に入る。鮎喰川に沿って走る県道を行く。漸く徳島市に入る。

10.宿泊予定先の神山町阿野の植村旅館に午後3時着く。ここの老奥さん、まだ時間も早いことだから10キロ先の13番門前の旅館まで行きなさいとわざわざ電話までし紹介、予約をしていただく。これも商いぬきのお接待であると。しかし、この10キロはきつかった。28キロほどの予定歩行距離が40キロ近くになった。午後5時、13番門前のかどや旅館に気息奄々辿り着く。バス団体遍路客で溢れかえっていた。夜,襖越し右も左もいびき、いびきの大合唱会。おそらく、此方も負けずに唱和したことであろう。一泊二食6800円。