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遍路紀行 33日目 (1997年3月29日) 曇りのち雨

行程 

徳島県池田市の民宿岡田~66番雲辺寺(同.池田町)~67番大興寺香川県三豊郡山本町)~68番神恵院、69番観音寺(同.観音寺市八幡町)~70番本山寺(同.三豊郡豊中町本山)~本山寺門前の一富士旅館まで  歩行距離 30キロ (延べ1025キロ)

この日の出来事など 

1.朝、雨を覚悟していたが道路がしっとり濡れている程度だ。ただ、いつ雨が降り出してもおかしくない今朝の空。降り出す前に標高910メートルの雲辺寺に出来るだけ登っておこうと、6時45分岡田さん老夫婦に見送られて出発。昨夜の女先生は今朝6時出発したそうな。道は直ぐに集落の狭い自動車道路から外れ、樵道のような遍路古道に分け入る。山の斜面にしがみつく様にジグザグに鋭角に折れながら天に伸びている。けものも登らぬような崖に遍路道がへばりついている。冗談ではない、これでは遍路転がしどころか遍路殺しである。雨は止んでいるが、道を塞ぐ草木をかき分け進むため上から下まで完全防水装備の雨具を通し雨滴が体にしみ込んでくる。岩や倒木が至る所に転がり歩行を妨げる。菅笠をぶつけぬよう倒木の下を這うようにくぐったり、あるいは倒木を跨ぎ乗り越えて一歩一歩高度をかせいでゆく。この遍路道は岩石もごろごろ転がっていて、落石にも要注意であった。

2.宿を発つとき、老主人が雨雲の切れ目から遥かに高くそびえる山頂近くに垣間見える送電用鉄塔を指して、あそこまで登れば自動車道に合流し歩行も楽になると話していたがまさにその通り。約1時間の苦闘ののち展望が急にひらけたと思ったら鉄塔が直ぐまじかに見え、道も平坦となっていた。午前7時50分。周り一帯は蓮華畑が広がるパラダイスで、周りの山々も小生の目の下か殆ど目線と並行になってきている。ここで宿より5キロの地点のはずだから、目指す雲辺寺まではあと2.5キロ。楽な歩行となった。苦あれば楽あり。”四国の道”案内板も平坦な広場に立っている。案内板上の管理者名も香川県と表示されている。雲辺寺自体は行政上徳島県に属しているが、昔より讃岐涅槃道場は66番雲辺寺から始まり結願寺88番大窪寺でおわる。

3.午前8時20分、66番打ち終わる。参拝者は小生のみ。雨に煙る鬱蒼たる杉木立の境内、ひとり心静かに納経。標高900メートル強の境内を吹く風は汗まみれの身には冷たく寒い。周囲の山々はすべて目の下にある。案内書では池田町の登山口より雲辺寺まで登攀約3時間所要となっているが、半分で済んだ。

4.67番大興寺へ。今度は下りだ。狭く急な悪路。木立の合間から左側に雲辺寺ロープウエーの駅舎が見える。雲辺寺駅であろう。そうかロープウエーもあったのか。楽しいだろうな。下山間もなく徳島県より香川県に入る。ついに遍路道程最後の讃岐の国に来た。午前10時漸く人里と接触。地図では粟井町というらしい。眼下にみえる香川平野には溜池が無数に点在している。このような溜池の風景は四国では初めて見る風景である。さすがに弘法大師満濃池で知られる土地柄だけあって、讃岐の国は大小無数の溜池だらけであった。幼いころ、大阪生駒連山中腹からの河内平野遠望の光景がオーバーラップして鮮明によみがえった。河内地方にも溜池が多かった。今は殆どが大阪のベッドタウンとなって住宅地に変貌しているだろうが、願わくば讃岐の国にあっては永遠にこの牧歌的な山河を大切に守ってほしいものだ。

5.午前10時40分、67番大興寺を打つ。小雨降り続く。ミニバス遍路3台あり。案の定うるさくて心が鎮まらない。車遍路も我が仲間。彼らとの出会いを大事にして,和顔愛語を説くお大師さんの教えを守るのが遍路の心得であるにかかわらず、最近は団体遍路とみれば騒然とした境内に加え納経所でのうんざりするほどの順番待ちと乗り物への羨望などがない交ぜになって嫉妬、舌打ちする我が心の狭量さがなんとも情けない。孤高の志を悪いとは思わないが、人を受容し睦む心が出来ていない。体が疲れていれば、心も病むか。何のための遍路か。人を愛せよ。

6。 神恵院へ向かう。途中国道377号線に合流し田野の中の自動車道を真っ直ぐに西進する。反対側の歩道を67番大興寺方面へ逆進する歩き遍路らしき男性に気づく。相手も小生に気づく。車が疾駆する4車線の横断は危険であったが、何とか合間を縫って横断、彼に駆け寄り挨拶を交わす。車遍路との接触は毎日数を知らぬほど無数の出会いがあるが、歩き遍路との接触は稀有なことだから、ことほど左様に同志的感情が生まれる。相手も同様だろう。彼、40歳代。汚れて顔も真っ黒。彼も小生を見て同じ思いだろう。彼はなんと逆打ち遍路中の由。脱帽。

 逆打ちはいい加減な気持ちでは出来ない。小生の遍路行を順打ちという。1番札所から88番へ順を追って辿ってゆく。遍路標識も順打ちを前提に町中、山路を問わず要所、要所に土地の方々が立ててくださっている。それでも迷う。逆打ちは88番をスタートして1番へ向かう。遍路道標は逆打ち遍路用は無い。進行方向の決断は地図と勘に頼るだけ。小生には逆打ちをする覚悟と勇気は無い。では何故逆打ちをするか。順打ちよりも功徳ご利益が大きいから。苦の濃密さに比例して喜びも倍加する。功徳ご利益の最高なるものが遍路中に100パーセント確実に大師に巡り合えるということ。お大師さんも常に八十八ヶ所を歩いておられるという言い伝えがある。それも順打ちで。従って順打ち遍路の場合、お大師さんに追いつき追い越してこそお会いできる。100パーセント確実にはお会いできないのが順打ちである。非礼な表現であるが逆打ちは必ずどこかでお大師さんと正面衝突する。大師信仰の篤い信者程逆打ちを願望する所以である。また最近は冒険心から逆打ちする若者もいると聞く。

 彼我、互いに目指す道順を教え合い真っ黒な手で握手、エールを交換して別れる。

7.昼過ぎ、12時40分雨の68番神恵院、69番観音寺を同時に打つ。両寺の本堂、大師堂は別々だが境内は同じ。また山門、納経所も共同である。雨を避けて観音寺本堂の回廊をお借りしてお握り弁当を開く。背からおろしたリュックの上に7~8センチはあろうか大きな毛虫がへばりついていた。どのあたりからの同行二人であったのであろうか。

8。70番本山寺目指し雨の財田川堤防上の遍路道を行く。観音寺市と三豊郡豊中町を分ける財田川の遍路道は4.7キロと長い。この堤防上の遍路道でたった一人だけ出会った老婆から傘もささず可哀相と声を掛けられる。菅笠が傘代わりで、雨に強い雨具で身を固めているからこの程度の雨はなんともないと説明、納得。話は小生の遍路行に及び、今日で33日間毎日歩き通しだと語ったら「オワカイのにエライなーー」と62歳のオッサンが褒められた。

9.午後2時半、70番本山寺打つ。札所には数少ない五重塔が雨に打たれていた。雨も時には風雅、優美の極致の彩を添えてくれる。

10.午後3時、70番門前遍路宿の一富士旅館投宿。通された部屋は本床、違い棚付きで12畳敷の豪華な日本間。通常、宿に着くと靴を脱ぐ前に金剛杖をまず洗う。杖はお大師さんの化身であるから部屋では上座に立て掛ける。遍路にとっては毎夕の大切な儀式である。従って部屋に通されるとまず上座を探す。大方が床の間が無い故である。しかし今日は迷わず床の間に立てる。テレビ有料2時間100円。夕食も部屋に恥じず豪華。何人分かと見紛う刺身の盛り合わせ,鰤の照り焼き、海老甘煮、、鶏肉ロースト,烏賊の煮つけ、ぬたの和え物などなど。デザートは苺とバナナ。同宿人無く大広間の食堂で我独りだけ。ご飯は4杯。(いつもの事)。口数は少ないが女将さんの親切なもてなしが嬉しい。一泊二食6500円。