遍路紀行 29日目 (1997年3月25日) 快晴

行程

今治市のホテル青雲閣~56番泰山寺今治市小泉)~57番榮福寺(越智郡玉川町)~58番仙遊寺(同)~59番国分寺今治市国分)~周桑郡丹原町の栄家旅館まで

歩行距離 32キロ (延べ899キロ)

この日の出来事など

1.昨日買っておいたパンとコーヒーで朝食済ませ7時青雲閣出発。56番へは南光坊の脇を通り抜けて今治市街地を南西に真っ直ぐの2キロ強の道のり。迷うことなく7時20分、56番泰山寺を打つ。

2.57番榮福寺への道は今治市郊外の古い町並みの小路を右に左に折れ曲がって進むため迷い易い。一歩間違えると古い民家に囲まれた迷路の中で展望も利かず、方角もとれず難儀をする。尋ねる人もいない。町中の迷路からやっと脱出すると今度は田んぼの畦道を行く。畦道に遍路道標が立っている。今は冬枯れの畦道だから道標に気づくのは容易だが稲穂茫々の頃はどうするのだろう。気が付かないかもしれぬ。この畦道こそが遍路古道なのだから夏冬お構いなしに畦道を踏んでゆくことになるか。田んぼは荒れるし、収穫時の農作業への影響など所有者のお百姓さんは平気なのだろうか。

3.複雑な遍路道では地図帳と睨めっこだ。山道と平地では、小生の場合平地で迷う確率が高い。山道はクネクネと曲がり上り下りに難渋するが右折左折などの分岐が少なく、道標も要所要所で確り整備されているので意外に迷わない。(ただし、迷えば市中での夫れとは比較にならぬ危険を孕んでいるが。)問題は平地で、十字路や分岐路が矢鱈とあって、目印になるものがないときだ。今日のような好天下では地図を片手に歩けるので間違いが少ないが、雨天では地図が菅笠の滴で濡れて破れるので、頭陀袋にいれてしまう。時々木の下影や家の軒下で地図を取り出すがその時点では既に迷っている。小生の場合、雨天で道を迷う確率が高い。それにしても57番榮福寺への道はわかりにくかった。7時45分、57番榮福寺打つ。

4.58番仙遊寺への道はさすが仙人の遊ぶ寺だけあって、急坂の登りが続く。人ひとり辛うじて通れる急峻の遍路道に「蝮注意」の立て板あり。この季節を選んだ理由の一つに蝮を避けたかった小生としては、注意喚起標識は全く意に介せずである。さて仙遊寺は山門から本堂まで急な石段が限りなく続き遍路を痛めつける。8時25分仙遊寺打ち終わる。

5.59番国分寺までの6キロ強の道程は急な下り坂で始まる。この五郎兵衛坂と呼ばれる急坂は遍路伝説となって今に言い伝えられている。坂を下り切れば、長閑な田園や集落を縫うようにして平坦な遍路道が続く。途中、軽自動車の老人より同乗お接待の誘いをいただいたが、これはお断りする。その代り路上で20分ほどの遍路談義。要領を得ぬ立ち話であったが、要はこの73歳のご老人は小生を励ましたかったということである。合掌。10時15分、59番国分寺打ち終わる。ここは再び今治市内である。

6.今治市内の桜井という眠ったような生活の匂いがしない村落を通り抜ければ東予市である。国道196号線を行く。右三芳町方面という道路標識に従い196号線と別れ、道を右に折れる。ちょっとした峠を越えた途端、眼前の光景にアッと目を見張る。雪をかぶった石鎚山と連峰群が遥かに聳えている。なるほど、四国最高の霊峰にして修験道霊場だ。見る者を魅了するオーラがある。標高1982メートル。明日はあの山のどのあたりを登るのだろうか。身震い。午後2時15分、石鎚登山基地である丹原町の栄家旅館に着く。中年の女将さんの暖かい挨拶のもてなしを受ける。

 洗濯一切を奥さんがして下さる。小生にやらせない。夕食は東予の海で獲れた鰯の握り寿司をメインに鰈の煮つけ、海老茶わん蒸し、高菜の和え物など海山の幸ずくし。一泊二食5500円。