遍路紀行 2日目 (1997年2月26日) 雨のち曇り

行程

旅館森本屋~6番安楽寺(板野郡上板町)~7番十楽寺(板野郡土成町)~8番熊谷寺(同)~9番法輪寺(同)~10番切幡寺(阿波郡市場町)~11番藤井寺麻植郡鴨島町)~藤井寺門前ふじや旅館まで  歩行距離 27キロ (延べ38キロ)

この日の出来事

1.6時起床。激しく軒打つ雨音。気持ちは今日が本番スタートの初日である。それにしては豪雨の洗礼だ。苦あれば楽あり。初日から苦しい体験をしておけば、知恵もいろいろつこう。体調は絶好調。朝の味噌汁が殊の外美味しくお代わりする。ちょっと厚かましかったかと後で反省。7時、ゴアテックス製完全防水の雨衣、雨ズボンを白衣の上に纏い、菅笠を傘代わりに、金剛杖を我が先達として、雨にしぶく時代劇もどきの町中に一歩を踏み出す。菅笠は今風にビニールコーティングしてあるので、雨には強い。傘などさして遍路はできぬ。ただ、歩きながら雨中で地図を開くと菅笠の縁から垂れる滴が丁度地図を濡らすのには困った。右手に金剛杖、左手に遍路地図帳を持って歩き、地図で常に現在位置を把握する。これが歩くことへの自信に繋がる。雨の日にはこれができない。濡れぬように地図を頭陀袋に入れるからだ。ポイント、ポイントでのチェックができない。地図をチェックするための適当な雨宿りの場所が何時もあるはずがない。雨天の日に限って道に迷うケースが多い。雨中歩行時の頭痛の種は大切な地図の取り扱いであった。

2.札所と遍路人の接点は納経所である。本堂、大師堂での納経の証は納経帖に朱印を頂くことである。朱印料は四国札所一律300円。遍路を今風に譬えればスタンプラリーのごときものだ。納経を終え、納経帖を持って納経所へ現れる遍路を待っている寺の朱印記帖人は住職、その他の僧侶、寺男、寺女、住職の家族など様々である。総じて、寺男風の人が多いが僧籍者であれ何であれ遍路への対応は様々だ。励ましの言葉に感激し、疲れを忘れさせてくれる会話や出会いもあれば、何気ない遍路の言動を語気荒く詰る寺男もいる。無言の行の修行中か、一言の言葉も発せぬ納経人もいる。ある納経所では、納経帖をカウンターに預け置いたままで本堂に向かおうとしたら、寺男に血相変えて怒鳴られた。「他の納経帖と間違えたらどうするんや!」。10冊位の納経帖が積まれて朱印を待っている程度であり、表紙に名札もきちんと貼ってあるのだが。霊場とは言えこれが人の世の縮図か、あるいはお大師さんのお試しか。怒りに対し怒りで返してはならぬ。遍路十善戒の一つに瞋恚の禁あり。怒りは禁物。怒れば汝が地獄に墜ちる。(投稿者者註:  納経帖に朱印を頂くのに時によっては順番待ちで30分位並んで待たねばならない。。バスの団体遍路に先を越されるとバスガイドが50名分ほどの御朱印帖をドサッと持ち込んでくる。これが2台,3台になるとその倍を待つことになる。時間を急ぐ歩き遍路にとっては大問題。本来ならば参拝納経を済ませた後に御朱印を頂くべきなのだが、参拝前に預けて時間を節約することにした)。

3.朝8時半より午後1時にかけて6番安楽寺、7番十楽寺、8番熊谷寺、9番法輪寺、10番切幡寺を打つ。宿から10番までで約16キロ。昼過ぎ雨やむ。嬉しい,有り難い。南無大師遍照金剛。嬉しいにつけ、苦しいにつけ、素直にこの八字の名号が口から漏れ出ますように。6番から9番までは長閑な田んぼや集落の中を通ってゆく。田畑も人家も枯れたような淋しげな佇まいだ。道は殆ど平坦で距離を稼げる。10番の切幡寺だけは小高い丘の中腹にあって、境内の333段の石段にやや手こずる。

4.9番法輪寺門脇茶店の女主人から声をかけられ焼き芋のお接待をいただく。この後至る所で食べ物、お金、激励の言葉などの声かけ、車で送ろうとの車接待(これだけは鄭重にお断りするが)など諸々の布施に預かるが、早くも2日目にしてお接待を頂く。「歩き遍路さんに限ってお接待させてもらっています」と、50代の女主人。

5.10番から11番まで約11キロ。稀に食堂を見つけても営業していない。途中で漸く見つけたよろずやさんで手に入れたアンパンが昼食となった。教訓。弁当は出来るだけ宿で用意してもらうこと。前方に吉野川に架かる阿波中央橋のアーチ状の鉄橋が見えてきた。15時ころ通過。本格的歩行の初日ゆえの緊張による疲れか860メートルの橋が数キロにも感じた。11番藤井寺はこの橋の向こう更に前方に霞む山の麓にある。橋を渡れば鴨島町だ。今日初めてのマチだ。人が大勢歩いている。車が渋滞している。なにかホットする風景。食堂もある。遅い昼食。お好み焼き大判480円。

6.午後4時、11番藤井寺打つ。(八十八ヶ寺中、この寺のみを藤井デラという.。他は例外なしに**ジ。理由は今回調べ損ねた)。山門くぐってすぐのところに大師お手植えと伝えられる藤の古木がある。境内にも藤が多い。寺名の由来であろうが、5月ごろはさぞかし見事なものだろう。門前のふじや旅館は同宿者無し。素泊まり朝食付き4800円。鴨島で夜食用の弁当買う。これをリュックに詰めたら,何とリュックが重く感じられたことか。日が経つほどにこれしきの事には不感症というか身体が慣れていったが、10キロ近い重量のリュックを背負って8時間余り歩き続けた初日の全てが初体験の新米遍路にとっては身体がバラバラになる寸前なのに、弁当一つの重みが鉛の錘に化けてしまった。リュックの紐が肩に食い込み身を責める。今日の宿には洗濯機無し。入浴時に同時に洗濯も済ましてしまう。当然脱水機も無いので手で絞る。布地厚いズボンは絞れたものではない。乾燥夜業は一苦労で9時までかかる。すぐ就寝。静かである。外は漆黒の闇。明日は新米遍路にとって最初の難関,所謂”遍路転がし”と俗に呼ばれる12キロの悪路,難路の山越えである。食堂有るはず無く,女将さんにお握り弁当頼んでおく。

7.それにつけても遍路道沿いのゴミの多さよ!自動車、家電製品など粗大ごみが主。今日で四国は2日目なのに、人里離れた山中や長閑な野中の路傍でも人目につかぬ所であれば、所かまわずゴミ、ゴミの山である。ごみが投棄されていない場所と言えば、車が入り込めぬ処だけといっても過言では無い。憧れの四国の山河が斯くもゴミで荒廃、汚染されているとは嗚呼情けない。