遍路紀行 19日目 (1997年3月15日) 晴れのち曇り

行程

土佐清水市久百々の民宿~幡多郡三原村と船ヶ峠を経由して~土佐修行道場最後の札所39番延光寺高知県宿毛市平田町〉~延光寺門前若松旅館まで

歩行距離 34キロ (延べ595キロ)

この日の出来事など

1.午前7時民宿出発。砂をかむような味気ない別れ。宿代支払いの時チラッと姿を見せるがお互い無言。それでも、頼んでおいたお握りは包装紙で丁寧に包んで渡してくれる。7時半、昨日は大雨であった下の加江の集落に着く。ここで13日の四万十川以来の道連れであった321号線と別れ県道21号線に入る。標識に三原方面分岐点とある。これで、10日以上に及ぶ太平洋や土佐湾との同行二人旅は完全に終わり土佐最後の宿毛市を目指し山中に入る。三原村や船ヶ峠を越える山また山の山巡り。下の加江川の源流までたどってゆくのか、右に左に曲がり曲がっても、登り下っても下の加江川の渓谷が離れずついてくる。県道とは言えアスファルト舗装は凸凹で荒れており、車一台通り抜けできるか危うい。県道よりも林道が適切か。山越え中、人はもとより、車一台お目にかからず。深山幽谷の”趣”どころか、まさに深山幽谷である。聞こえるは鶯の囀りのみ。路傍で今朝用意してもらったお弁当を開く。宿には屈折した気持ちがあったが、お握りは具もいっぱいで美味しかった。

2.いつの間にか土佐清水市から幡多郡の三原村に入ったようだ。下の加江川源流の渓谷と鶯はあいかわらずだ。午後は60パーセント雨の予報であったが,なんと快晴だ。しかし、暑い。三原村の芳井部落を過ぎる。猫の額のような山間の大地の上に人家が寄り合っている。突然、猛烈な犬の吠え声に飛び上る。土佐犬ドーベルマンを掛け合わせたような一瞬虎かと見紛う大型犬が小生めがけてとびかかって来た。幸い長いワイヤーに長い鎖を通して繋いであったので、鎖の限度いっぱいのところでストップがかかり大事にはならなかったが、恐怖の棒立ち。声も出ない。更に進む。久繁,宗賀という集落を通る。天満宮の社あり。水道の水が実に甘露であった。トイレもある。鄙びた山村に不似合いなほどに素晴らしくモダーンな建物で、しかも清潔。通行人もいないのだから、使用する人もいないか。ピカピカの社とトイレ。。天満宮参拝。トイレと水道。これほど遍路にとっての喜びは無い。

3.三原村から船ヶ峠を越えれば黒川という集落。ここはもう宿毛市か。整備された道路になって来た。黒川トンネルを通過。トンネルを出たら、視界がパッと開けて巨大なダムサイトが眼前に展開した。黒川ダムサイト公園という。12時50分であった。道路も素晴らしいわけだ。展望休憩停で小休止。この広大な空間に小生一人。勿体ない。

4.ダムから少し下ったら、早くも39番寺のある宿毛市平田町の外れに達する。国道56号線に3日ぶりに対面。四万十の中村市以来の邂逅だ。さすが四国の大動脈なり。車の通行量が半端ではない。久しぶりの下界、俗界も正直楽しいものだ。勝手なものだ。明日は56号線とのお付き合い。よろしく。午後2時、39番延光寺打つ。これで土佐修行道場うち終わりだ。明日より伊予の国の菩提道場に入る。

5.午後2時半、門前の若松旅館投宿。古風な遍路宿の風格。設備は古びているがよく手入れされている。細かい気配りの若夫婦の一生懸命なもてなしが嬉しい。延光寺も若松旅館も田園の中。明るいうちは鳶の鳴き声。日暮れてはなんと蛙の大合唱に包まれて夜は更けてゆく。風呂は下駄を履いて入る五右衛門風呂だ。これにはさすがに驚いた。夜更けて雨だ。今日で歩行距離600キロ近くになり、東京/神戸間を超えた。

 T君より電話あり。彼岸休みを利用して四国・東赤石山登山の予定と。3月22日松山市内でのランデブーを約す。同宿者無し。蛙の合唱を子守歌に,早々と8時就寝。一泊二食5300円。

遍路紀行 18日目 (1997年3月14日) 曇り、のち雨

行程

土佐清水市以布利の民宿旅路~38番金剛福寺土佐清水市足摺岬)~同じ道を打ち戻り久百百₍クモモ)まで   歩行距離 38キロ (延べ561キロ)

この日の出来事など  

1.地響きかと思う波音と地鶏の鳴き声で目を覚ます。朝4時半であった。7時半出発。宿より38番まで片道16キロ、38番打ち終わればUターンして民宿旅路を経由して昨日辿った道を下の加江方面に再び下って7キロ程先の久百々という小さな漁村の民宿に泊まる予定。全コース、土佐清水市内の遍路行。(同じ道を往復することを遍路達は「打ち戻る」というが、今日の行程は100パーセント打戻りである。道に迷うこともゼロ。)   

2.民宿の老奥さん、今は滅多に利用されていない海辺の旧遍路道や以布利漁港の案内を兼ねて30分ほど小生に随伴して見送っていただく.現在は足摺への遍路道が整備されて国道321号線を行けばよいが昔は危険な海辺の道しかなくさぞや難渋したことと思う。漁港を過ぎれば以布利の集落も途切れ、ここより321号線は大きく右にカーブして海岸を離れ、半島の背骨の山深いルートをとって土佐清水市の市街中心部を目指す。足摺岬へ行くには321号線とここで別れ、相変わらず進行左手に太平洋を眺めながら整備された県道を行けばよい。ここで38番を打ち終え39番へ向かう30代位の女性遍路に出会う。遍路行18日目にして初めての歩き遍路との遭遇だ。我が仲間だ。この道は先ほど説明した打戻道であるため遍路とすれ違うこともありうる。彼女は今日で24日目の由。陽に焼けて真っ黒。悪いが近寄らないと男女の区別ができなかった。数分間立ち話して情報交換。彼女は以布利の分岐で321号線に合流の後下の加江ルートをとらず321号線で土佐清水市へ直行し、そこから39番寺のある高知の宿毛市に向かうという。もう出会うこともあるまい。お元気で。

3.岬への県道は時に車すれ違い困難な狭い幅員に変化する。はじめてこの道を運転する者には気を抜けない危険な道路である。窪津とか、津呂とかいう漁村を通る。鰹節の加工工場が多い。独特の臭いが一面立ち込めている。どちらかと言えば悪臭だ。窪津では海岸線に沿ってクネクネと小岬を曲がり走る県道とは別に旧遍路道あり。蹲った馬の背骨のような小高い山塊が海に突き出た小岬を一直線に乗り越えてゆく遍路道だから距離と時間は節約できる。話が逸れるが、四国の遍路道1番から88番までの総距離は公称約1400キロであるが、これは自動車道の事ではないだろうか。歩き遍路道にはこのような古来からの遍路古道が至る所に残っているので、総距離はもっと短いと思う。現に、小生の総歩行距離は遍路地図による計算では1150キロ強であった。

 話をもとに戻す。馬の背骨を乗り越えて再び県道に合流、津呂の集落を過ぎる頃から車一台がやっとの状態となる。県道はいつの間にか椿の大木のトンネル道に化している。頃もよし。3月。椿、椿、椿の花の満艦飾の南国の岬であった。

4.午前10時30分38番金剛副寺打ち終わる。山門前の大駐車場は遍路バスや一般観光バスで大混雑である。.一体このバスの群れはどこから来たか。小生の辿った道は閑散としていたのに。さて、門前の駐車場兼用広場に足摺岬公園入口がある。灯台や断崖絶壁が見物できる。観光客に混じって遍路姿も多い。小生もやっぱり観光もしたい。折角南国の地の果ての秘境まで遥々歩いてきたのだから、我一人超然としてはいられない。白亜の灯台、絶壁、疾風怒濤、椿、円い水平線

5.11時過ぎ、今通ってきたばかりの県道を再び以布利方面へと打ち戻る。 昼食は津呂漁港の県道路傍で民宿旅路の老奥さん心づくしのお握りをいただく。12時半、窪津を過ぎたところで雨激しく降り出す。雨宿りする場所も無く、見えるのは右手に荒磯、左に断崖絶壁、落石注意の看板のみ。路上でリュックから雨具を取り出し激しい雨の中、濡れたままで雨具を着る。完全防水ゆえ通気性が無いため濡れた体が体温で蒸れる。オメガの腕時計が湿気でとまってしまった。疲れが激しい。午後2時20分、前夜の民宿に戻りつく。預けておいた荷物をリュックに詰め直し、老夫婦と別れを惜しみながら、重くなったリュックを担いで高い湿気で不快指数100パーセントの重い体を今夜の宿泊先の久百々の集落へ運ぶ。

6.午後3時半、久百々の民宿に着く。民宿の名は秘す。理由は後で判る。また誰もいない。玄関の前は県道越しに太平洋の怒涛が砕け散る岩礁が広がっている。眺めが素晴らしいので、玄関前にしゃがんで家人の帰りを待つ。やがておじいさんが帰ってきて、海の見える2階の部屋に通される。景色を楽しんでいるうちに女将さんらしい中年の女性も戻ってきた。どうやらおじいさんと小生の部屋の事でもめているらしい。理由もわからないまま、山側の部屋に移される。故障とは知らず部屋のエアコンを操作したのを見咎められて女将さんにガミガミと注意される。実は、昨日の午後以布利の宿への途次、この宿の前を通った序に、「明日おせわになりますと」と挨拶がてらに立ち寄って玄関のインタホーンを押したところ、家人は現れず件の女将さんらしき声でインタホーンを通しての対応で終わってしまっていた。民宿とは言えサービス業の関係者が斯くのごとき応対かと、いささか呆れ嫌な予感を持ったが正夢となってしまった。昨日の小生の対応に何か気に障るところがあったか振り返って考えてみたが、思い当たらない。遍路宿の人たちは皆親切で情け篤き人ばかりと思っていた小生の甘えか。(後日談。何年か後にある評論家の遍路エッセイを偶々読む機会あり。文中、この民宿の,わけても女将さんのもてなしぶりを激賞するくだりを読んで心中複雑な思いがしたが、さらに読み続けたら女将さんの述懐が紹介されていた。彼女によれば民宿経営の知識もななく、また料理も得意でないためこの仕事が嫌いであったが、ある時真心で接しさえすれば相手に通じると気づき、そう悟ったら気も楽になって、女将稼業も楽しくなったと。これで合点がいった。小生がお世話になったころは丁度悩んでいた最中であったか。人間、この不可思議なる存在。)同宿者無し。一泊二食6000円。

 

 

 

  

遍路紀行 17日目 (1997年3月13日) 激しい雨降り続く

行程 

ペンション四万十川土佐清水市以布利の民宿旅路まで

歩行距離 31キロ (延べ523キロ)

この日の出来事など

1.朝7時半ペンション出発。38番金剛福寺まで一日半の行程。激しい雨。国道56号線の大型車の流れは絶えることが無い。飛沫を全身に浴びながら黙々と行く。ひたすらみじめさに耐えて歩く。8時前四万十川に架かる渡川大橋₍トセンオオハシ)を渡る。雨に煙り見通し悪い。橋を渡ると56号線と別れ鋭角に左折して堤防上を走る国道321号線に合流する。今夜の宿泊地以布利までこの国道の世話になる。道に迷う心配皆無。堤防上の国道を挟んで左に四万十川本流が、右に中筋川が流れている。中筋川は河口近くで四万十に飲み込まれるように合流するが、この辺りでは四万十川が大きすぎて取りとめなく感じるに対して、中筋川はこじんまりとして岸辺は緑多く風情満点だ。四万十川はどちらかと聞かれたら、頭に描いているイメージだけで答える限り迷うことなく中筋川を指すだろう。

2.午前9時半、津蔵淵合流点を通過。足摺岬まで36.3キロの表示あり。ここで我が歩む国道321号線は四万十川に別れを告げ、大きく右に折れて西南に方角をとる。山中に入ってゆく。峠越えだ。途中、八十八ヶ所先達公認証を持つ60代ぐらいの男性が大雨の中にも拘わらず車を止めて、なぜか110円の賽銭お接待をいただく。暫し雨の中、先達の遍路談を聞かせていただく。

3.10時、伊豆田トンネル入り口に達する。1620メートルと長いこのトンネルは幅も広く、歩道は段差があって安全歩行。おまけに外は大雨でも、ここは雨知らずの快適空間だ。トンネルにもこんな利点があった。トンネル中間地点で中村市から足摺岬のある土佐清水市に入る。

4.足摺岬土佐清水市の最南端に当たり、太平洋上大きく南に突き出た半島のような地形の先端にある。この”半島”の基部に当たるところが土佐清水市の下の加江という漁村である。ここは交通の要衝で、東へ向かえば小生が今まで歩いてきた道程を逆行して室戸に向かい、南へ海道を行けば足摺岬から土佐清水市の中心部へ、北へ山越えの道を行けば半島の反対側のもう一方の基部に当たる宿毛市に達する。さて、下の加江には高知、愛媛両県境の山々から流れ落ちる水を集めて満々たる下の加江川が土佐湾に注いでいる。国道321号線はしばらくこの川を右に見て下ってゆく。あたかも隣り合うのを拒むようにポツンポツンと町並みが心細げに続く。川辺に沿って喫茶HIGEハウスという食堂が煙る雨の煙幕の中から現れた。この店も大河を背にポツンとただ一軒、川に飲み込まれるように立っている。雨はますます激しい。ずぶ濡れの雨具の滴を気にしながら扉を開ける。ストーブは赤々と燃えているが誰もいない。無人の店内で菅笠や雨具の手入れをしながら主人の現れるのを待つ。昨日の料理屋の海坊主と同じだ。待つこと20分以上。名前通りのヒゲの主人であった。寿司蕎麦定食600円。再び321号線を本日の最終目的地である以布利の漁村目指して行く。地形変化の激しい海岸線をゆく国道は上り下りの繰り返しや、右左に急カーブする危険な生活道路兼用の観光道路である。振り返ったら今歩いてきた下の加江の漁村が遥か目の下に見えた。雨は止んだ。途中、これまたポツンと水産加工店あり。うるめ生干しと赤目鯛の干物を家族に送る。3000円。クール宅急代1240円、このほうが割高なり。

5.午後2時10分、民宿旅路に着く。雨中30キロ強の歩行、ようやく本日はこれで手仕舞い。眼光鋭く、骨太の男性が留守番中。この家の主である。聞けば70歳とか、とてもそのようには見えない。言葉を飾らぬ物言いなので、初対面の印象はパッとしなかったが、悪げのない人柄であることはすぐわかる。間もなく戻ってきた65歳の奥さんともども本当に親切な素晴らしいご夫婦であった。昔は漁師の網元で、二男、三女皆独立して、今は二人で民宿を営んでいる。夕方までの2時間は石油ストーブを囲んで世間話に時間の過ぎるのを忘れるほどの楽しく愉快な一刻であった。洗濯一切奥さんがして下さる。

 夕食は魚尽くし。鰹に始まり、平目の刺身は絶品であった。いわし寿司。これがまた凄いほどの美味。食べすぎ。他に宿泊者なし。一泊二食6000円。  

6.夜、テレビは無い。この家は断崖絶壁の上に建っている。部屋の窓から外を覗いたら,20メートルほど直下に岩に砕ける白波が見えた。波音は白砂青松の寄せては返す優雅なものではない。太平洋の荒波が岩に砕け散る轟音である。遠くに目を転じると下の加江方面の漁村の灯がチラチラと瞬いて見える。寂しい眺めである。雨は今は止んだようだ。8時就寝。ここの主人夫婦に幸あれかし。

 

 

遍路紀行 16日目 (1997年3月12日)曇り

行程

佐賀温泉旅館~幡多郡大方町経由四万十川で有名な中村市のペンション四万十川まで

歩行距離 34キロ (延べ492キロ)

この日の出来事など 

1.38番金剛福寺のある足摺岬まではここより80キロの彼方。これより2日半を要す。午前8時出発。朝から雲が厚いが、何とか持ちこたえられるか。佐賀温泉は佐賀町の一方の外れにあるが、ここより町役場や漁港を通って隣町の大方町まで16キロもある海岸線の長大な町である。8時55分土佐くろしお鉄道伊与喜駅前通過。このどこか旅心を誘う名前の鉄道は昨日通った窪川から四万十川中村市を経由して高知県最西端の宿毛市までを結んでいるが、これでわかるように今日の中村市までの国道56号線の遍路歩きの道ずれは土佐くろしお鉄道である。これに乗れば中村市までアッという間に着く。祈るらくは、遍路を誘惑しないで欲しい。

2.佐賀町商店街や漁港前を通過して午前10時町はずれにある佐賀町営”土佐西南大規模公園”で小休止。運が良ければここから鯨ウウォッチングができるそうだ。そのためか海岸遊歩道が長い。曇天ではあるが海の彼方に目を凝らして歩く。

 白浜海岸、井の岬などの景勝地や井の岬トンネル、伊田トンネルを次々通過してようやく大方町に入る。ここですれ違ったおばあさんから煎餅,大福餅のお接待を受ける。相当嵩張り、また重いのでリュックにいれるが、重みで肩が痛い。愚痴るなかれ、罰が当たる。土佐くろしお鉄道は相変わらず小生につかず離れずである。東大方駅を過ぎて直ぐの宇呂という海岸で、国道に面したホテルレストラン”海坊主”に出会う。丁度12時。遍路には不似合いな高級な構えだが、周りをうかがっても食堂はおろか人家もない海岸線が続くのみだ。お世話になることにした。案内を請うも広い建物の為か応答無し。客もいない様子だ。生き胆を抜く都会からの旅人にとっては、昔はみな斯くあったかと思わせるような羨ましさと懐かしさを感じる。大声で頼もう頼もうと繰り返す。ようやく奥から仲居さんが走り出てきたが、物騒ではないかとの問いにそんなこと考えたことも無いとの答え。このような思考回路を育ててくれる環境が羨ましい。古き良き時代が偲ばれて懐かしい。海岸を正面に臨む清潔で広々とした個室に通され、仲居さんの世話で一人占めの豪華な昼食也。海の幸定食1500円。鰹のたたきをメインにえび、ほたて、あわび、いわごけ、とこぶしの刺身と煮物。ほかに、たこ、きゅうり、さくらのりの和え物など。

3.午後1時前、海坊主出発。56号線を行く足取りも軽い。大方町域のくろしお鉄道上川口駅前で自転車に乗った60代女性から500円賽銭お接待をいただく。お互い合掌。入野分岐という道標あり。ここより56号線を離れ遍路道は海岸遊歩道へ。この辺り、”入野の松並木”と呼ばれる景勝地である。海浜は海亀の産卵地としても知られる。再び国道に合流、午後2時10分西大方駅前通過.一輌だけのローカル電車が旅情を振りまいて追い越していった。中村市まではあと僅かだ。

4.ついに56号線の道路標識に”足摺岬”の表示が出た。四万十川まで7キロ、足摺岬まで56キロと。逢坂トンネルをぬけたら四万十川中村市であった。トンネル入り口には清流にトンボの壁画。水清き四万十川。歩道も幅広く快適なトンネル歩行。

5.午後3時過ぎ中村駅近くのペンション四万十川に着く。テレビ有料2時間100円、エアコンも有料。商魂たくましいか。いくら四国とはいえ、町中には町中の流儀があるからやむを得ないか。しかしお茶の用意もない。アルバイト風の女の子が二回目の催促で漸くもってくる。50代と思しき女将さんのガラガラ声が2階の小生の部屋まで聞こえる。しかし笑顔が大変可愛い人だ。とはいえ、何かしっくりと落ち着かぬ家だ。周りに民宿や旅館が山ほどあるのに一寸ついていなかったか。後で判ったことだが、ここは遍路宿というより仕事でこの町に長期滞在する若者たちが下宿代わりに多く利用するらしく、夕方10人を超す青年たちがドット戻ってきた。一人やっとの狭い風呂も洗濯機も順番待ちの行列だ。大学体育部の合宿寮のようだ。夕食も年配遍路向きでなく、メインは草鞋のようなビーフステーキであった。遍路16日目にして初めての大スタミナ肉料理。しかし、これが美味であった。ペロリと平らげる破戒遍路。夜は襖越しの話し声や廊下の足音など、案の定落ち着かぬ雨本降りの一夜となった。明日は激しい雨だとか。雨の四万十川の詩情や如何。部屋は国道に面しているので、大型車の水を切る飛沫の音が絶えることが無い。ネオンの点滅。”四万十の中村市”のイメージ”が狂ってしまった。一泊二食6000円。

 

遍路紀行 15日目 (1997年3月11日) 晴れ

行程

久礼の大谷旅館~37番岩本寺高岡郡窪川町)~幡多郡佐賀町拳の川の佐賀温泉旅館まで  歩行距離 30キロ (延べ458キロ)

この日の出来事など 

1.昨夜の豪雨、目覚めれば今朝は嘘のような快晴である。南無大師遍照金剛。7時勇躍大谷旅館出発。昨日と変わり今朝は老奥さんの見送りを受ける。その際100円の賽銭お接待をいただく。この旅館の心の籠った料理と接遇ぶりはこれまでお世話になった旅館の中でも3月8日投宿の高知やさんと並び双璧である。静まり返る朝早い漁師町の古びた町並みを抜ければ、早くも国道56号線が手ぐすね引いて待っていた。56号線は標高ゼロに近い久礼の港町を抜ければ、海岸線から山の高みへ一直線の急登を始める。山中の急坂を登る大型トラックの凄まじいまでの流れ。片側一車線、車道のみ歩道なし。静から動への一瞬の間の転換だ。 排ガスの煙幕の中を全身汗みどろだ。昨夜の豪雨で湿度が非常に高い。側溝を歩道代わりに,崖に身を擦り付けるようにして歩く。国道とは言えヘアピンカーブの連続だ。運転手が小生を視認し易いようにカーブの外側の側溝に体を移したいのだが、横断が怖い。カーブで見通しがきかないから、数秒も要しない横断であっても急カーブの崖の陰から車が襲ってくる。警笛。トラック運転手の眼。乞食遍路を睨んでいるのか。とにかく難儀な歩きであった。とかく格闘するうちに国道は山を登り切り、山の中腹を縫うように走る平坦な道に変わっている。谷越しの向こう側に小生が辿る国道が見える。

2.午前8時頃から9時にかけて久礼第1,2,3,4トンネル通過。いずれも200メートル位で短いが、大型車の通行依然激しいため、油断は禁物だ。第4トンネルを抜けてしばらく直登すると七子峠だった。9時過ぎ。汗だくの2時間の修行は終わる。土佐は修行の道場。峠からは、久礼の町並み、久礼の内浦(入り江)や、たった今修行してきた56号線が眼下に見える。七子峠は中土佐町と目指す37番岩本寺のある窪川町の分岐点である。一番高所の見晴らしよき場所に”霧の峠七子茶屋”なる売店食堂あり。霧で有名な霧の峠は、今朝は素晴らしい見晴らしの明るい峠であった。56号線はここから長い下り坂となって窪川町へ向かう。

3.午前11時過ぎ、窪川町仁井田という56号線沿いの静かな町の外れで”ナポレオン”という名の鄙には洒落た店構えのケーキ店に出会う。ケーキとは無縁の遍路ではあるが、恥ずかしながら思わず駆け込みシュークリームとチーズケーキを注文する。店の若奥さんが奥より椅子を持ち出してきて座って下さいと勧めてくれる。喫茶店ではないのでコーヒーの代わりですと日本茶のお給仕。ケーキ代450円。安くて、おいしくて大変幸せそうに見えたか小生の事をいろいろ尋ねてくれる。横浜からの遍路と知って彼女も夫と埼玉県の狭山市に住んでいた事、故郷の当地に戻ってこの店を開いたなど暫く世間話をする。礼を述べて再び国道に戻る小生を態々国道にまで出て見送ってくれる。国道に面し、周りに何もないから注意して通れば探し当てられる店である。いつの日にか再見?

4.影野、仁井田を過ぎれば土讃線が国道の右や左に並行して走りだす。12時、呼坂トンネル横のうどん店でうどん定食400円を食す。客はトラックの運転手ばかりで店員や他の客とも皆顔なじみの様子だ。12時25分、37番岩本寺を打つ。広い境内では近所の主婦らしい女性たちが世間話に興じている。格好の社交場か。寺の裏手を土讃線の列車が轟音をあげて通過していった。。そういえば窪川駅は近くにあった。

5.今夜の宿泊先の佐賀町を目指し再び国道56号線を進む。またまた長い登坂道路だ。いささかうんざりである。横をビュンビュン車が走る。道幅が広いので怖くない。窪川町峰の上というところを通過。また峠の見晴らしポイントである。食堂やレストハウスが点在しているが、いずれも人の居る気配なく、空き家の様子。これより長い下り。間もなく佐賀町域に入る。全くの山中だ。150メートル程度の片坂第1,2トンネルを抜けると国道は更に急坂となって下ってゆく。山はいよいよ深まっていく。ここは山国?たしか鯨ウオッチングで有名な海の町のはずだが。海は一体どこに?ようやく平地に下りても56号線は今度は田園の中を悠々と走る。岩本寺より今夜の宿泊先までは10キロ強。南国の強い日差しを浴びて歩くのは、特に午後の疲れた体には厳しい。炎天の田んぼの中の国道上でやっと人に出会えた。自転車に乗った郵便配達の男性だ。堪らず佐賀温泉旅館までの道のりを聞く。なんと、あと1キロ、指呼の間だ。今日は暑さの上に湿気が高いため疲れがひどい。気息奄々。旅館らしき建物が前方田んぼの中にみえてきた。

6.午後3時過ぎ佐賀温泉着。ここは佐賀町郊外。周りは田畑。56号線に面した土産物店兼営の食堂レストハウスだが、設備も新しく清潔で洒落た和風旅館であったのは意外。一泊二食7000円。50代ぐらいの男性支配人が素朴で親切なのも嬉しい。春の小川の童謡を思わせるきれいな小川が旅館の裏手を流れている。ここに洗濯場があり洗濯機も置いてある。明るい春光の下,洗濯だ。若い女中さん達がニコニコ笑顔を見せながら声をかけてくれる。小川にはめだかも泳いでいるそうな。風呂は天然温泉の大浴場だ。小生の為に5時のオープンを4時に早めてくれる。勿論、小生一人だけの大浴場。食事はこれも大食堂でこれまた小生一人きり。なんだか申し訳なし。寝る前8時、再度入浴。苦あれば楽あり。

 

 

 

 

 

遍路紀行 14日目 (1997年3月10日) 曇り

行程

国民宿舎土佐(土佐市宇佐町竜)~須崎市を経由して~高岡郡中土佐町久礼の大谷旅館まで  歩行距離 36キロ (延べ428キロ)

この日の出来事など

1.次の37番岩本寺までは56キロの距離あり。二日がかりだ。今日は中土佐町までの36キロを唯ひたすらに歩き続ける。7時50分国民宿舎出発。横浪三里黒潮スカイラインを行く。国民宿舎の前をこの有料観光ドライブウエーが走っている。馬の背のような高所の尾根を走る道路で、断崖絶壁状の小さな半島や山を割るように入り組んだ入り江などの起伏に富む絶景を眼下に眺めながら歩く。車だったらどんなに快適なドライブであろうことか。歩きはそうはいかない。急勾配の上り、下りが連続する約15キロの苦しい観光道路である。行合う人は誰もいない。人家が全く無いのだから生活道路ではないのだろう。通り過ぎた車は20台ぐらいだったか。聞こえる音は三つ。風の音、鶯の鳴き音、それに金剛杖の鈴の音。鳶の鳴き声は聞こえず。また、波の音は海面が遥か下にあるのでここまでは届かない。途中,横浪県立自然公園あり。食堂も展望台も今日はクローズ。武市半平太銅像は終日太平洋を眺めながら何を思うか。高校野球で馴染みの明徳義塾がこの孤島のような人里無縁の地にあった。周りの静かな雰囲気とは不似合いな看板が立っていた。おそらく全寮制であろう。

2.10時半中浦バス停国道56号分岐につく。漸く下界である。56号線はこれからトンネルが多くなる。中浦バス停は入り江である浦の内湾の行きどまり最奥部にある。これが太平洋に繋がる入り江だとは到底信じがたい静かな”山の湖畔”に停留所がポツンとたっている。ここは須崎市の外れであろうが、市街中心部までの6キロは山中をゆくこの国道56号線が我が相棒であろう。265メートルの鳥坂トンネルは10時45分から47分までの2分で通過。危険なトンネルの長居は無用。急ぐに越したことはない。12時頃桜川を渡り、土崎合流点に到る。ここで国道56号線本線に合流する。

3.国道の両側には須崎市役所、警察署、スーパー、郵便局などの官署、商店、ビジネスビルが並んでいる。想像していたより賑やかな佇まいだ。昼食の食堂も選り取り見取りだ。寿苑という食堂に入る。ここの主人らしき老奥さんが小生の姿を見るや、「オシコクさんが来てくれはった!」と大歓迎を受ける。オシコクさんの徳に与りたいと金剛杖を撫でる、撫でること。鰹定食700円。東京辺りの鰹定食と言えば、刺身一品とみそ汁程度の献立であろうが、ここは違う。皿数5皿、カツオを使った料理である。食べきれない。お詫びして残す。去りしなに、大きなビニール袋にポンカンをドサッと入れたお接待をいただく。外に出てズシリとあまりにも重いので中を覗いたら10個はくだらない数え切れぬポンカンと半熟卵。出来るだけ軽くするため、腹一杯の身ながら歩きながらいただくが、全然軽くならぬ。片手に金剛杖、もう一方の左手に篤き人の情けのビニール袋を提げて頑張りだ。

4.56号本線をどんどん急ぐ。新荘川を渡ると、須崎市街を離れ再び山中に入っていく。午後1時40分~45分、420メートルの角谷トンネル通過。ここから下りになる。楽だ。短い久保宇津トンネル,安和トンネルを通過して、午後2時15分危険なことでガイドブックでも最も悪名高い焼坂トンネル入り口に達する。966メートル。確かに歩道なく怖い。そもそもこの辺りは人口小さいために外出者も比例的に少なくなる。従ってトンネルを含め道路を歩く人も少ないからトンネルに歩道を設ける必要が無いのだろう。歩道を作ればトンネルの幅員も増え掘削工事コストも増えよう。四国のトンネルは歩道ほとんどない。しかし歩き遍路は困る。トンネル側壁下の側溝のコンクリート製の蓋が辛うじて歩道の態をなしているだけだ。2車線トンネルの右側を歩く。右肩をトンネルの壁に擦り付けるようにして懐中電灯をグルグル前方に向けて振り回しながら歩く。これで小生の左肩脇を疾駆する対向車が気付くはずだ。思ったほど危険な思いなく、10分で通過。トンネル内歩行者は小生のみ。排気ガス充満し、手拭で口と鼻を抑え続ける。先ほどいただいたポンカンの入ったビニール袋、金剛杖、懐中電灯に手拭を両手で持ち替え持ち替え、三十六計逃ぐるに如かずと小生もトンネル内を疾駆する。

5.焼坂トンネル内の中間点で須崎市から高岡郡中土佐町に入る。外界に出たらほぼ一直線の長い下りだ。土讃線が右側を走っている。午後3時10分中土佐町久礼の大谷旅館に着く。中年の奥さんの出迎えを受ける。夕食、朝食ともに中年の女中さんが付ききりで奉仕してくれる。彼女の生涯の夢は遍路に出る事だそうで、面映ゆかったが土地の者でも実行できぬのに立派なことだと褒められる。同宿者なく、夕方から降り始めた雨が軒を打つ音のほかはコソとも物音もせず人声もない旅の宿である。炬燵の中で、毎晩の夜業である明日のコース調べをする。雨、いよいよ激しい。明日の好転を祈る。だいぶ古びてはいるが、由緒ありげな風格の海浜宿場町の宿。一泊二食6800円。

 

 

           

 

遍路紀行 13日目 (1997年3月9日) 快晴

行程

33番門前民宿高知屋~34番種間寺吾川郡春野町)~35番清滝寺土佐市高岡町)~36番青龍寺土佐市宇佐町)~同じく宇佐町の国民宿舎土佐まで

歩行距離  32キロ(延べ392キロ)

この日の出来事など

1.。早朝6時50分高知屋の奥さんの見送りを受けながら出発。振り返っても、振り返っても奥さんが手を振っている。朝まだき日曜の町はまだ眠りの中。町を外れたら長閑な田園が広がっている。遍路道は舗装された農道である。辺り一面ビニールハウスばかりだ。野菜栽培用らしい。目標物何もないため地図を見ても自分の立ち位置の確認に難儀する。農道の電柱に遍路シールがところどころ貼られているのが頼りだ。8時、34番種間寺打つ。この時間、我一人のみ。

2。種間寺より35番清滝寺まで約10キロ。程なく高知県下の一級河川の大河である仁淀川の堤防に達し、ここよりやや上流の国道56号線を目指す。56号線までの道は高い壁のような堤防に沿って伸びており、仁淀川の河原も対岸の風景も全く見えない。56号線に合流するや、長い仁淀大橋を渡る。この国道は足摺方面への幹線道路である。55号線国道は室戸へ、56号線は足摺へ。これから足摺岬まで暫くのお付き合いとなる。仁淀大橋中間点で高知市春野町と別れ土佐市に入る。大橋を渡り終えて直ぐ56号線を右に逸れて再び長閑な田園地帯に入る。

3.仁淀川大橋を渡る直前に三輪自転車を漕ぐ老女を追い越す。呼び止められて400円の賽銭お接待をいただく。清滝寺方面へ行くという彼女と同行、大橋を一緒に渡り30分ほど歩きながら身の上話を聞く。この女性、81歳。久保内幸榮さんという。彼女の夫は先の戦争で戦死、若くして未亡人となったが、亡夫がまだ7歳の少年の時に登った66番雲辺寺の忘れられぬ体験をはなし聞かされていたこともあって、戦後に夫への追憶の思いから雲辺寺に登った由。今でも忘れられぬあの高山の名刹に貴方がここから遥々歩いてゆきなさるとはマア大した志や。繰り返しお褒めの言葉をいただく。(後日談。仁淀川大橋で写した彼女の写真を4月帰宅後送ってあげたら、鄭重で達筆な礼状とともに、赤、青、黄、桃色夫々のリボンで織った金魚を送っていただく。我が家の居間の天井から吊り下げられて泳ぎながらこの6月に生まれた孫の泰地のお守りをしてくれている。さて、これより20年を閲した現時点での更なる後日談。その赤ん坊も間もなく20歳の大学生。このブログも彼が開設してくれたもの。祖父と孫の権威逆転。なんぞ、歳月の疾く移ろいゆくことか!)

4.高岡町の喜久屋という旅館前で態々車を止めて70歳ぐらいの男性から500円の賽銭接待をいただく。10時20分、35番清滝寺を打つ。標高130メートルの小高い丘の上にある境内からは高岡町や仁淀川流域の村落が春の日差しを浴びてキラキラ輝いて見える。境内は紅梅満開。参拝者で賑わう茶店のおばあさんからポンカン5個のお接待をいただく。

5. 36番青龍寺に向かう。ここより約15キロ。途中3キロ程は今来た道を戻り、再び56号線に乗る。36番の在る宇佐町へは2ルートあり。一つは自動車道を行くルート。仁淀川に沿って宇佐の海に注ぐ河口まで大きく迂回しながら宇佐の海の宇佐大橋を目指す。大変な遠回りになるが、山越えは無い。もう一つは昔からの遍路古道だ。この古道は宇佐の海に向かって一直線に進む。しかし前途には遍路転がしで名高い塚地峠が壁となって立ちはだかる。名にし負う直登の塚地峠である。距離は前者に比しまるで短い。後者を行く。12時過ぎ峠登り口着。ここまでは立派な自動車道路だ。ここで行きどまり。宇佐の海にむかって峠直下を貫通するトンネルの掘削工事中である。現場が見える。これが貫通すれば自動車も大迂回がなくなり、アッという間に宇佐の海辺に達するが、遍路転がしの古道も忘れ去られるかも。遍路の歴史がまた一つ消えるおそれ。

6.用意していた昼の弁当は35番の境内でお腹に消えた。とにかくお腹が直ぐに空く。この辺りは人家も少ない寒村でコンビニ、食堂の類は無い。ましてや、峠の山中で食い物にありつける筈がない。覚悟を決め12時20分登りを開始。頼りは35番の茶店で接待されたポンカンの残り一つ。途中、峠まであと800メートルの道標あり。16両編成の新幹線ならば2編成分だ。東京駅の新幹線プラットホームは400メートル強。往復の距離に過ぎない。8分ほどで歩ける距離が30分を要した。峠通過。これより宇佐に入る。下り坂だ。左右に細い竹が群生している。暫く竹の細道が続く。サワサワと丈の葉を揺らして宇佐の海があるかと思われる方角から吹いてくる微風が汗まみれの遍路にはなんとも心地よい。宇佐の海と宇佐大橋がチラと垣間見える瞬間があったが、あとは下界の宇佐の町に下りるまで遠望の機会は無かった。午後一時、宇佐の町はずれの里に下りる。峠出入り口の近くにやっと食堂らしき建物見つける。季節外れの四国の食堂は店を閉じているケースがよくあるので,コワゴワ表に回ってみたら営業中であった。久保食堂。大盛焼きそば400円。店の女将さんによればここを通過する歩き遍路は二日に一人いるかいないかとの事。この店は遍路道関所のような要衝にあるので間違いでは無かろうが、すこし少ない感じだ。

7.宇佐はリゾートの町。海浜のリゾート。海越し左に見えた美しい姿の宇佐大橋を渡る。宇佐町の奥深く食い込んだ入り江状の浦の内湾を跨ぐ有料橋である。歩行者は無料。橋上から遠望する山々は今越えてきた塚地峠方面のものか。

8.午後2時15分、竜の浜休憩所立ち寄り。宇佐の海を満喫する。ここで同年配の男性から励ましの言葉に添えてポンカン4個お接待をいただく。今日だけでお接待4回。信仰心篤き土佐の人々。ここより暫く歩いたら36番青龍寺門前に着く。今夜投宿の国民宿舎は門前の背後に高く立つ山のうえだ。午後2時35分、青龍寺うち終わる。山門より本堂までは長く、急な石段が参拝人を威圧する。高齢者や特に団体バス遍路で足に自信のない向きは、山門で納経をすませて引き返すこと日に何十人にもなる由。なるほど、わかる気もする。

9.山門より国民宿舎までの登攀はわずか10分ほどの行程だが、塚地峠越えより更に苦しく、登り道に思わず手をついてへたり込む。動けない。30キロ以上の山坂を踏破してきた身にはこの日の最後の試練は強烈であった。お大師さんも厳しい。3時過ぎ国民宿舎土佐にチェックイン。ホテルスタイル。太平洋を一呑みの絶景。それはそうだ。これだけ顎が出るほど登ってきたのだから当然なり。案内された部屋からの眺めは一人で独占するのは罰が当たる感あり。言葉をうしなう迫力。日が暮れるまで太平洋と睨めっこして過ごす。現役時、まだ新米社員の1963年頃乗船実習で社船に乗り、太平洋、カリブ海、大西洋上で地球の円さを体感しているが、今日も地球は円かった。魚料理ずくしの夕食。一泊二食6500円。