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遍路紀行 37日目 結願の日 (1997年4月2日)曇り、のち雨

行程

志度寺門前の栄荘旅館~87番長尾寺大川郡長尾町)~88番大窪寺(同.多和)

歩行距離 23キロ (延べ1154キロ)

この日の出来事など

1.目覚め爽快。ついに結願の日になった。7時10分旅館出発。志度町の町並みは短い。町を離れると広々とした田園の中を車道が延びている。車は走っていない。僅か20キロ強の歩きで結願である。のんびり歩く。しかし空模様が若干気になる。8時20分、87番長尾寺打つ。町寺。長尾町の町並みを過ぎると自動車道兼用の遍路道は次第に高度を上げてゆく。結願寺は標高500メートルほどの山中にある。最後の登攀行だ。もてる力を惜しむことなく全開すればよい。

2.9時半前山ダムに到る。展望台からダムの雄大な眺めを暫し楽しむ。人影無し。車影無し。結願寺まで車道コースを行けば10キロ強、徒歩2時間50分と案内板にあり。距離は最長だが歩行は楽。他に2コースあり。一つは789メートルの女体山越えで距離最短だが険しい。もう一つは標高400メートルの額峠を越えるルート。距離は10キロぐらいか。結局額峠を選ぶ。前山ダム公園前に額峠に通じる遍路道の入り口がある。軽自動車なら走れる程度の舗装はあるが凸凹の荒れた道路だ。歩行者には歩き易い遍路転がしである。しかし勾配は急だ。10時20分額峠に着く。ここで休憩。昨日お接待でいただいた八朔蜜柑をいただく。甘い!。峠を越えて暫く行くと農家風の人家が一軒忽然と目の前に出現した。一応自動車が通れる粗末な舗装道路があるからと言って、何を好んでこのような隔絶された場所に茶店ならぬ住家があるかと訝ったが、これは小生の誤解であることが直ぐに判明。この峠頂上から高原台地状の地勢となっていて大窪寺方面への遍路道に沿って人家が点在していた。多和と言う名の集落であった。集落の奥へ進むほど道路も幅広く整備されていた。

 間もなく多和橋を渡って左に折れ登坂車道を行く。橋を渡ってすぐ右手に多和小学校あり。どうやらどこからか小生に声を掛けているらしい。運動場から高学年らしい子供達が歩き遍路にエールをおくってくれていた。金剛杖を振ってこれに応える。

3.11時30分、ついに大窪寺の山門が坂の彼方に浮かんだ。桜木も、吹く風に枝を揺らして小生を迎えてくれている。山門に達する。嗚呼、言葉を忘れる。発すべき言葉が無い!

4.4月2日正午、88番結願の寺の本堂に立つ。いつもの事だが、菅笠、金剛杖、リュックは本堂に上がる階段脇に置き、頭陀袋のみ肩にかけて本尊薬師如来に礼拝、納経する。感謝と安堵の高まりからか、本堂.大師堂ともに納経の声が知らず知らずの嗚咽で詰まる。涙が止まらない。37日間、普段以上の最良の体調で事故一つもなく完歩できたのは大師の不思議なご加護の賜物であろう。 「あなうれし ゆくもかえるも とどまるも われは大師と 二人ずれなり」。

大窪寺の御詠歌である。同行二人、と書いて”どうぎょうににん”と読む。

南無大師遍照金剛 南無大師遍照金剛 南無大師遍照金剛。 合掌