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遍路紀行 35日目 (1997年3月31日) 快晴、春うらら

行程

丸亀プラザホテル~78番郷照寺綾歌郡宇多津町)~79番高照院天皇寺坂出市西庄町)~80番国分寺綾歌郡国分寺町)~81番白峰寺坂出市青海町)~82番根香寺高松市中山町)~高松市鬼無町の民宿みゆき荘まで

歩行距離 38キロ (延べ1096キロ)

この日の出来事など

1.今日と明日は距離的に最後の難関である。今日は38キロ強。東海道線では東京駅/戸塚駅間に近い。明日は35キロ。コースは町寺、山寺と起伏にとんでいるようだ。最後の最後まで息が抜けない展開だ。朝7時半ホテル出発。国道11号線を敬遠して県道33号線を行く。直ぐに宇多津町に入る。宇多津は多度津と並び四国の表玄関である。瀬戸大橋が眼前に大きく迫ってくる。力強い人工の美しさに圧倒されるが、この町の長閑な風情には似合わない。35日前、期待と不安が混じった高揚した気持ちでこの橋を渡り、宇多津駅を経由して高松駅方面へ向かった日の事を思えばまるで夢のごとく、四国を一周してここまで来たとの実感がわかない。

 8時20分、78番郷照寺を打つ。町寺。郷愁を誘う古い町並み。狭い道路が迷路のごとく入り組んでいる。早朝にも拘わらず、バス2台がついて寺は賑わっている。春爛漫の讃岐路には白衣菅笠の遍路がよく似あう。

2.79番天皇寺に向かう。すぐ坂出市に入る。”本街道”という標識が立っている旧街道をゆく。四国の旧道の家並みは皆よく似ている。道の両側の家々の軒は低く、道は狭く、息苦しい。暫く進むとこの街道は”本町商店街”という長大な商店街に変身する。9時を過ぎたばかりなのでガランとしている。長い長~いアーケードだ。自動車も走る。しかもこれ一本のアーケードではなく、縦横にアーケード街が交差する。予讃本線坂出駅を右手に見てこのアーケード商店街を通り抜けるのに10分以上かかった。約1キロ。失礼ながら規模の凄さにびっくりする。暫くしてこの道を右に折れ予讃線の踏切を渡り山麓を進むころからようやく田園風景に変わってゆく。50年前横浜に住んでいたというお婆さんから飴玉3個のお接待をいただく。飴玉の甘味がエネルギーになった。

3.9時40分、79番高照院天皇寺を打つ。ここには”八十八(ヤソバ)の水”と呼ばれる日本武尊ゆかりの名水の泉があって、土地の人に高照院と尋ねてもわからず、やっとの事で「アア、ヤソバさんの事か」と言うような調子でこの寺の名水が親しまれているようだ。天皇寺という変わった名前の由来はかの保元の乱で讃岐に流罪となった崇徳上皇がこの配所で恨みをのんで崩御されたからとか。昨日も桜と西行で触れたように、西行は佐藤義清(のりきよ)と呼ばれた北面の武士の当時から崇徳院との関係は深く、白河、鳥羽、崇徳と言う天皇家を巡る骨肉相食む争いに敗れ讃岐に流された崇徳への思慕や無常の思いから23歳で出家、西行と名を改める。崇徳配流後の朝廷への遠慮もあったか、西行51歳にして漸く讃岐を訪ねたのは崇徳も崩御したあとであった。このように悲しく、切なき悲劇の讃岐で西行法師と所縁の深い桜を全身で堪能できたことは終生忘れえぬ記念となった。なお崇徳上皇の御陵は81番白峰寺にある。

 話をもとに戻す。天皇寺納経所で小生が横浜からの遍路と知った寺の梵妻さんと思しき女性から遥々ご苦労様とねぎらいをいただく。明後日には満願結願の予定と聞いてまじまじと小生の顔を見て、くたびれた様子もなく30数日間も歩き通した姿には見えないと褒めていただく。

4.坂出市から国分寺市に入れば、80番国分寺は指呼の間にある。高松市は隣町。11時5分国分寺を打ち終わる。ついに80番。寺域広大で松林が見事なり。予讃本線の国分駅(なぜか国分寺駅でない)は直ぐ近くである。駅近くの線路際にうどん屋さんあり。”手打ちうどん三島屋”。セルフサービスの定食うどん340円。おいしい。実にうまい。味よし、こしの強さも天下一品。これが本場のうどんか。お世辞にも立派な店とは言えないが、去りがたい思いだ。

5.81番白峰寺は標高350メートルの高地にある。地図ではこの登山路は遍路転がしと表示あるから相当厳しい山坂か。とか思案しながら歩いているうちに道を間違えたらしい。1か月も歩いていると、なんとなく勘が働くのか、間違った方向を辿りだすと頭の中で危険信号が点滅する。かなり山深く踏み込んだか、人も居ないし人家も無い。漸く農家に行き当ったが、広い中庭に獰猛な面構えの犬が吠えまくる。土佐犬か。ウロウロしているうちに、家人が出てきて助かった。結局後戻りとなる。道を教えられ序に八朔蜜柑三個のお接待をいただく。遍路転がしの急坂で息を喘がせながらいただいたこの蜜柑の美味しかったこと。

6.遍路転がしの山道、12時20分から35分かけて登り切る。次第に高度を稼いでゆく山道から後ろを振り返れば、讃岐のシンボルである溜池があちらこちらで春の陽光を受けて鏡が反射するように柔らかく輝いている。突如、自動車道路にでる。白峰寺までの残り4.2キロはこの道を行けばよい。山頂の尾根を走る道路であるが、周囲は樹木密生していて見晴らしがきかない。息苦しい。道の左側は自衛隊の実戦訓練地域とかで有刺鉄線が物々しいが、聞こえるのは鶯の鳴き音のみ。人はもちろん、車も通らない。

7.午後1時半過ぎ、81番白峰寺を打つ。次の82番根香寺(ネゴロジ)も同じくらいの標高の山寺だ。獣道のごとき遍路古道は上ったり、下ったり、本日最後の試練が続く。午後3時根香寺打つ。

 今夜の宿は高松市郊外の鬼無の里。キナシと読む。古い伝説でも残っていそうな名前である。鬼無へ下る道は素晴らしいドライブウエーだ。自動車は殆ど通らない。一点の雲もない紺碧の空とウルトラマリーンの瀬戸内海。屋島高松市街が総天然色のパノラマとなって眼下に展開している。目を遮るものは何もない。絶景!天下の絶景なり。鬼無への下り道はよくも往路にこんなに登ったものと呆れるほどの長いドライブウエーであった。下りれば、鬼無の里は気だるいように長閑な盆栽の里であった。

8.午後4時40分みゆき荘に着く。既に先客3名。こんなに遅い時間の投宿は滅多になかった。矢張り38キロの長丁場であったためか。洗濯一切を宿の奥さんがして下さる。食後部屋に戻ったら衣紋賭けに乾いた衣類がかけられてあった。夜遅くまで主人ご夫婦と同宿の二人連れ女性遍路を交え四方山話に花が咲く。一泊二食5300円とはなんと安いこと!