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遍路紀行 30日目 (1997年3月26日) 晴れ、夕方より雨

行程

周桑郡丹原町の栄家旅館~60番横峰寺(周桑郡小松町)~61番香園寺(同)~62番宝寿寺(同)~宝寿寺門前のビジネス旅館小松まで               歩行距離 30キロ (延べ929キロ)

この日の出来事など 

1.朝7時栄家旅館出発。姿が小さくなっても手を振っている栄家旅館の奥さん。33番雪蹊寺門前宿の高知屋の奥さんと同じだ。いざ、石鎚中腹1000メートルの横峰寺へ。7時30分中山川に架かる石鎚橋を渡ると,すぐに山間の上りにかかる。山間の集落を進んでいると、自宅門前で手招きしながら小生を待ち受けているらしい中年の男性がいた。家でお茶を飲んでいってほしいとお接待の誘いを受ける。遠慮なく玄関奥の事務室のソファーに座り、ご主人が淹れたコーヒーをいただく。日野さんというこのご主人,石鎚橋の近くで小生を自動車で追い越した時に小生の歩きぶりが目にとまって、お接待かたがた遍路話を聞きたくて、自宅前で小生を待っていた由。彼も以前亡母健在の時、部分打ちだが母親と車遍路をした経験があり、全行程通しの歩き遍路の尊さを身に染みて感じているなど20分ほど遍路談義に花が咲いた。お名残り惜しいがと腰を上げる小生に、それではと奥から特大の伊予柑5個を持ってきて途中でぜひ食べて欲しいとのお接待をいただく。それでなくとも重いリュックが重かったことか。しかし喘ぎ登る横峰寺への山中で食したこの伊予柑は余程選りすぐったものとみえて、実に美味で全身に元気がしみわたる感じであった。人の情けの重さにしみじみと合掌。

2.8時50分、石鎚山系登山ベースキャンプ地である湯浪部落通過。この辺りから谷間はいよいよ狭まり山は深まってゆく。9時10分横峰寺登り口着。ここに「横峰寺参拝者への注意事項」なる掲示板あり。曰く。”単独登山はしない。グループごとにリーダーをつくり云々ーーーー”とあるが、一人だけの歩き遍路の身では今更如何ともしがたい。決行あるのみ。村道から人一人がやっとの獣道と思しき登山道に踏み込む。手で這い登る急坂との格闘。途中、あと2.2キロの道標あり。平地ならばルンルンの距離が今は煉獄の苦しみだ。さすがに湯浪部落ルートは遍路転がし中の最難関といはれるだけの事はある。通常、歩き遍路は湯浪ルートを敬遠し、59番国分寺を打ち終わった後61番香園寺を目指し、そのあと60番への逆打ちルートを登る。そして再び同じ道を61番へ下り62番を目指す。小生は二つの選択肢のうち、真正面からの順打ちルートに挑戦してしまった。午前10時15分、横峰寺山門に到る。10時45分納経、無事打ち終える。

3.61番への9.9キロの遍路道は殆ど下り急坂である。歩いても歩いても今度は際限なく下り坂が続く。逆に言えばこれだけの高さを登ったことになる。無我夢中の人の力はおそろしいエネルギーを発揮する。

 正午ごろ眺めのよい岩場に腰かけて栄家旅館の奥さん手作りのお握り弁当を開く。そこへ60代ぐらいの地元の樵風の人らしき男性が木陰からヒョイと突然現れたのにはお握りを落とすほどにびっくりした。全遍路道の半分以上が人も稀なる寂しい山中の古道であるが、山中での人との遭遇は後にも先にもこれが唯一の体験であった。人懐かしいというより、山賊(失礼!)にでも出会ったような不気味な一瞬であった。相手の男性もギョッとした顔つきだったが、さりげなく互いに挨拶を交わす。

4.午後零時半61番香園寺奥の院を打ち、更に山を下って同1時10分香園寺を打ち終わる。本堂は鉄筋コンクリート造りのビルで、寺域全体の雰囲気も大学のキャンパスの感じである。四国霊場の古格な佇まいは感じられない。本堂の内部も何百脚もの椅子が整然と配置され、さしずめ大学の大教室の感がある。とはいえ、この寺は子授け安産の寺として知る人ぞ知る古刹である。この6月に生まれ来るであろう初孫の安産を祈願しお守りをいただく。境内の桜、既に八分咲き。冬枯れの阿波から一か月かけて花爛漫の伊予讃岐にたどり着いた。

5.午後2時、62番宝寿寺をうつ。この寺は国道11号線に沿う町寺だ。トラックの騒音に絶え間なく囲まれて落ち着かない。加えてバス団体遍路の大群と遭遇したため、納経所は戦場の様相を呈している。うず高く積まれたバス遍路さん達の納経帖を前に納経所の寺男達が怒ったような顔つきで黙々と納経帖に朱印を押し、墨書している。

6.喧騒の納経所で小一時間かかって何とか朱印を戴き、予讃本線伊予小松駅近くのビジネス旅館小松に午後3時20分着く。玄関を開けて案内を乞うも応答なく無人。フロントめいた場所に連絡先電話番号を記した伝言板を見つける。暢気で鷹揚なものと感心しながら電話をする。やっとの事で通された部屋は洋間であった。エアコンヒーター利用料1時間100円。手洗い、洗面所は2階まで行く不便さはあったが一泊二食5000円。年配の女主人が一人で一生懸命世話を焼いてくれるが、ほかに宿泊者もいて手が回らず気の毒なり。内風呂が修理中の為歩いて一分の銭湯を利用できるよう手配してあるので,すまないが銭湯に行ってほしいとの事。これも旅の一興でむしろ面白い。雨も降りだして、底冷えのする寒い夕方であったが、旅館の浴衣のまま傘無しで走る。お世辞にも今風の銭湯とは似ても似つかない。セピア色がよく似合うだろう戦前の銭湯にタイムスリップしたかの印象だ。番台にはこれまた古色蒼然の枯れたようなお爺さんが座っているのが嬉しい。良く温まり蘇生して機嫌よく旅館に戻る。奥さんに良い体験だったと礼を言い喜んでもらう。夕食はミニバス遍路さん一行8名と食卓を囲んで豚肉の水炊き、牛肉の刺身をいただき、あと賑やかに一刻を過ごす。