遍路紀行 27日目 (1997年3月23日) 快晴

行程

石手寺門前民宿みよ志~53番円明寺松山市和気町)~52番太山寺(同.太山寺)~54番延命寺への途中の越智郡菊間町の月の家旅館まで

歩行距離 36キロ (延べ847キロ)

この日の出来事など

1.朝7時、民宿みよ志出発。女将さんから伊予柑10個お接待していただく。素泊まりであったが、親切で声の大きい陽気な人柄であった。市内は日曜早朝の事とて眠っている。宿泊客の姿もない旅館街や温泉通りなど歓楽街の中心を行く。地図ではこれが遍路道になっている。市街を西進、松山大学前通過。ここはもう郊外か。道はややこしい。大きい町は鬼門だ。また迷う。消防署に行き当たる。さすがに署員の人達は朝が早い。親切丁寧に教えてもらう。道はかなり外れていた。午前8時40分、53番円明寺打つ。門前で地元婦人会らしき女性たちが小生を待ち構えていて、アンパン1袋、缶コーヒー2個、健康ドリンク2本、バナナのお接待にあずかる。バス遍路さん達にも接待するのだろうか。いくら用意しても足らないのでは‐‐‐など、つまらぬ考えは止めるべし。それにしても民宿の女将さんの伊予柑に今いただいたお接待。豊かな気分だが、重くて嵩が張って嬉しい悲鳴也。

2.午前9時20分、52番太山寺打つ。本堂は国宝。町寺には珍しく山門より本堂まで350メートル程の急坂を上らねばならない。

3.快晴。暑くなってきた。歩きながら伊予柑を丸かじり。甘露。心の中で民宿の女将さんに礼を言う。10時55分、とうとう眼前に瀬戸内海が現れた。阿波鳴門の渦潮、室戸の怒涛逆巻く太平洋、炎熱の土佐湾、穏やかな宇和の海を経てついに瀬戸の海との対面だ。ここは松山市堀江町。喫茶カフェトレインという大きな食堂を通過した途端に物の陰から海が我が目に飛び込んできた。遍路道は堀江町より国道196号線に合流している。

4.瀬戸内は天気晴朗。穏やかな海岸線を左手に、JR予讃線を右手に、196号線はその二つに挟まれて進む。人影全く無し。人と出会いすれ違うのは都市部だけの事。予讃線の特急列車が走りすぎて行く。アレッ?遍路が歩いているぞ、というような仕草で小生を指さしているらしき乗客が見えた。特急列車だから遍路を見慣れた地元の乗客というより遠方からの旅行者か。そうならば珍しい風景であろう。ああ、電車に乗りたい。

5.11時過ぎには遍路が歩く196号線は松山市と別れて北条市へ入ってゆく。国道は瀬戸内に沿った細長いこの町を貫通して隣町の菊間町へと目指して行く。人の気配なく、活気が感じられない。日曜の所為かしらん。讃岐に近い土地柄か国道沿いにうどん店は多い。人の気配なくとも、また車の通行も少ないにも拘らず、いずれの店も結構繁盛しているようだ。その証拠に駐車場はどの店も車で満杯だ。不思議である。国道上の走行車は少ないのに駐車場は車で溢れている。丁度昼時。小生も、とある店の暖簾をくぐる。客でいっぱいだ。昼なお眠るような町中の佇まいと、うどん店内の活況。天ざる800円。値段は土佐あたりと比べれば高いと思う。しかし典型的讃岐うどんで、容易にかみ切れぬこしの強さは比類がない。

6.菊間町への 途中、峠越えあり。国道は海岸線に沿って大きくカーブして峠を迂回しているが、遍路道は真正面から峠に挑んで距離を稼ぐ。峠を越えれば196号線に再び合流すべく急な下りだ。下り道の周囲はすべて蜜柑畑である。誰もいない。手を伸ばすどころか蜜柑が顔に触れてくる。触れなば折らん。これは相当な誘惑である。採ってほしいとばかり。しかし、今朝民宿の女将さんからお接待でいただいた伊予柑がリュックの中に沢山残っている。これが救いになった。黙って採れば遍路十善戒の不偸盗の禁を破ってしまう。

 さて、菊間町に入る。瓦造りで全国的に知られる町である。国道に沿って延々と瓦製造工場が続いている。鬼瓦の展示が楽しい。大小様々な商品見本を夫々の工場が競って国道に面して陳列している。鬼の表情にもさまざまアクセントをつけ、製作者の遊び心が窺いしれて面白い。工場は個人経営の傾向が強いのか有限会社名が多い。通りすがりのおばあさんに呼び止められてあんころ餅2個のお接待をいただく。餡子の塩気が強すぎて申し訳無きことながら、小生の口には合わなかった。

 午後3時前、旅館月の家に着く。古びているが、よく手入れの行き届いた清潔な旅館であった事と、器ものは冷えていたが刺身だけは流石に美味であった事以外は何も覚えていない。