読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

遍路紀行 26日目 (1997年3月22日) 快晴、しかし寒い

行程

久万町のガーデンタイム~46番浄瑠璃寺松山市浄瑠璃町)~47番八坂寺(同)~48番西林寺(同.町高井)~49番浄土寺(同.鷹の子町)~50番繁多寺(同.畑寺町)~51番石手寺(同.石手)~石手寺門前の民宿みよ志まで(松山市石手)

歩行距離 28キロ  (延べ811キロ)

この日の出来事など

1.今日は46番から51番まで。全て松山市内の町寺のため札所の数は多いが順調に納経できるだろう。友人の山男T君より小生の携帯電話に連絡あり、昨日の豪雨のため登山中の東赤石山から下山できず、今日の松山でのランデブーはご破算となった。(3月15日の遍路紀行参照)。道後の湯にでも一緒にと楽しみにしていたのに残念。

2.7時前ガーデンタイム出発。チェックアウト少し早すぎたか、フロントの婦人まだ出勤していない。なにせ、宿泊者は小生のみだから仕方がない。料金精算のためロビーで待つ。それにしても四国の人はのんびりしていると感心する。遍路は早立ち位の事は土地の人であれば先刻承知であろうから、小生だったら前夜のうちに清算請求しているだろう。食い逃げ、ただ逃げなど考えたことも無い風土。ホテルを出れば国道33号線が走っている。一路この道を松山市へ。雨は止んだが、まだ晴れていない。四国を南北に分ける脊梁山脈を越えれば松山である。峠の名前は三坂峠。国道は三坂峠を目指し殆ど一直線の長い登坂路である。8時頃より青空が急速に広がってきたが、実に寒い。あの土佐の暑さが嘘のよう。カメラを操作しようとするが手がかじかんで思うようにならぬ。

3.峠で33号線と別れ、道なき道のごとき旧遍路道に分け入る。あまりの急な下りの悪路に加え昨日の雨による泥濘についに足を滑らす。眼前の急斜面の岩に頭から突っ込む。菅笠はとび、金剛杖は危うく谷に落ちるところ。杖の鈴は谷に落ちてしまった。否、小生自身があぶなかった。ズボンもシャツも泥まみれであったが、五体安全であったのは偶然か。そうだろうか。金剛杖を確り握っていたおかげだと思う。37日間の遍路行で危機一髪の体験がこれ一回で済んだのはひとえにお大師さんのご加護也。

4.既にこの辺りは松山市である。と言っても、現在地は松山市窪野町という郊外の更に外れの遍路以外は滅多に人の通らぬ深山である。遍路道は下るにつれ、車一台通行できる林道に変わってくる。後に知ったことだが、時効寸前に逮捕された松山のホステス殺人事件の犯人が被害者をうずめた場所が三坂峠であるという。車で被害者を運んだであろうから人目につきやすい33号線を敬遠すればこの林道しか無かろう。

5.閑話休題。9時50分、46番浄瑠璃寺打つ。納経所では多分寺の梵妻と思はれる中年の女性からご朱印いただきかたがた激励を受ける。納経料の300円は歩き遍路へのお接待として受け取って下さらない。この寺では小生の女性運が良かったと見えて、東京小金井市からのバス団体遍路の女性たちから一人歩き遍路ということで賞賛と激励の集中砲火を浴びたばかりか、お大師さんの功徳にあずからせてと小生の杖と身体を撫でまわす。

 10時45分47番八坂寺打つ。11時10分には一級河川重信川に架かる久谷大橋を渡り松山市街地に入る。11時20分48番西林寺打つ。

6.12時10分、49番浄土寺を打つ。納経所でのご朱印は高校生のような少年がしてくれる。青年というには若いが、筆の運びと言い態度も堂々たるもので心底関心した。この後、50番への道に迷う。賑やかな市街は右折左折、交差点やたらに多く、道標も町並みの雑多な看板,広告物に溶け込んで見つけがたく、簡単に迷ってしまう。行き交う人は多いから、これと思う人に尋ねても寺の名前すら知らぬ人が居る。もと来た道への逆戻りは精神的につらい。12時半行きずりの食堂で中華焼飯を食す。450円。サラリーマンでいっぱい。

 午後1時20分、50番繁多寺うつ。小高い丘の上にあるこの寺の境内からは早春の陽光を浴びる松山市の全貌が一望できた。四国有数の大都会である。

7.51番に向けて丘を下り始める。この辺りは住宅街であるが、墓地があちらこちらに点在している。四国は昔の行倒れ遍路を葬った路傍の風化した墓石に始まり、村道、県道、国道、市街地の生活道路脇にも墓地が多い。四国の人の死者に抱く思いは 四国以外の他国に生まれ育った人々のそれに比し、何か特異なものがあるのだろうか。1200年にわたり強い大師信仰に育まれてきた四国の人たちだからこその宗教的感情によるものだろうか。人への優しさが死者への親和に広がるか。死に装束の白衣の遍路を優しく迎える四国の人々に感謝と敬意を!

8.午後2時10分,51番石手寺打つ。この寺は数ある松山観光の一つであるので観光客が多い。門前から山門までの50メートルほどの参道は仲見世風の土産物店が並び、今日が土曜日ということもあってか観光参拝客で大混雑である。石手やきもちが名物のようだ。人の波に誘われて、しばらく境内で遊ぶ。

9.午後3時、門前の民宿みよ志に上がる。荷物を預け、宿の下駄を借りて、歩いて10分の道後温泉へ急ぐ。2階の神の湯入湯のため登楼。畳敷き休憩所に案内される。男女区別無し。手摺越しに下の通りの人波を眺める。.上着、ズボンは入湯客一人づつの専用乱れ箱に置いておく。貴重品は帳場のお姉さんに預け、下着の上に浴衣を着て階下の浴場脱衣所へ下りてゆく。湯はミルク色に白濁、少し熱めだ。石造りの浴槽は広く、さすがに歴史の年輪を感じさせずにはおかぬ風格がある。遍路の事はすっかり忘れ、暫し浮世の悦楽に沈潜する。お湯も浴場の造りもまことに結構であったが、2階休憩所の風情が時代離れしていて情緒豊かだ。坊っちゃんが遊んだ明治の香りか。国籍、性別関係なく座布団が整然と敷かれている畳敷き大広間でくつろぐ。浴場から上がってきたら、何の屈託もなく浴衣を脱いで、乱れ箱の上着と着替える。団扇も用意されている。天目茶碗でお姉さんがお茶を運んでくる。いまどき天目茶碗とは。まるで殿の気分だ。これで入湯料680円。さて今夜の民宿は素泊まり5500円。愉楽の後は道後温泉駅前アーケード街の食堂で一人寂しい夕食となった。