遍路紀行 23日目 (1997年3月19日) 雨のち曇り

行程 

宇和パークビジネスホテル~大洲市十夜ヶ橋別格霊場経由~喜多郡内子町の新町荘旅館まで  歩行距離31キロ  (延べ721キロ)

この日の出来事など

1.上浮穴郡久万町の44番大宝寺まで67キロ。今日は途中の内子町までの31キロ。7時20分出発。素泊まりのため昨日買っておいたアンパンと牛乳を部屋で食して出発だ。大雨である。このような日に限って国道歩きになる。一日中56号線だ。土砂降り。車の飛沫。体の芯までずぶ濡れだ。直ぐ空腹を覚える。アンパンだけでは無理もない。うまい具合に喫茶店があった。周りは山中、人家一軒もない樹林帯にポツンと一軒、しかも喫茶店とはついている。ずぶ濡れの防水着、菅笠、リュックカバーなど赤々と燃える暖炉で乾かす。モーニングサービスのコーヒーとトーストパンで人心地着く。500円。再び雨中へ。途中、地蔵堂あり。緊急避難。時代劇そのままの地蔵小屋だ。遍路が行き暮れた時、野宿代わりにせめて雨露をしのげるようにという昔からの地元の人たちの暖かい接待心か。今は雨宿りの旅人が一人。周りは蜜雲、豪雨。昼なお暗き杉林。ただ、地蔵小屋を震わせてエンジン全開で国道を上ってゆく大型自動車の騒音が時代劇の主役擬きの遍路の夢想を打ち壊す。

2.9時10分。鳥坂トンネル入り口に達する、1117メートル。10分少々で通過。歩道は無いが片側2車線あるので余裕で歩く。トンネル中央付近には照明なく、車の切れ目には漆黒の闇と化す。トンネルを抜ければ大洲市であった。本降りの中、市内目抜き通りを行く。古いビルが多い。56号線に沿って市役所、消防署、銀行、商店などが並んでいるが、大雨の為薄暗く陰気な印象が強い。また自動車の大渋滞もあって、元六万石の古き良き城下町の面影はかけらも感じられなかった。市街中心地を肱川が流れている。56号線の肱川橋を渡る。橋近くの左右両岸に鵜飼屋形船がビッシリ係留されていた。いささか心が和む。

3.11時半,十夜ヶ橋別格霊場を打つ。雨を避けて本堂軒下の階段をお借りして用意のアンパンを食す。十夜ヶ橋は大師ご聖跡である。一夜、この橋の下で野宿された大師が余りの寒さに一夜を十夜にも長く感じられたという故事による。今もここで野宿する敬虔な遍路も多いそうだ。現在のコンクリート製の橋の真下には、言い伝えに倣って横になられて眠る石造りの大師像が祀られているが、大師に布団をお掛けする信者がいる一方ですぐその布団を篤い信仰心から持ち去る者もあとが絶えない由。別格番外霊場の中でもここは最高別格の聖跡である。そしてお大師さんが橋下で野宿された故事が敷衍されて、橋下の大師の眠りを妨げぬよう遍路道のすべての橋の上では遍路は杖を突いて歩いてはならない戒めが生まれた。十夜ヶ橋は国道56号線上の肱川の支流に架かる短い橋である。

4.十夜ヶ橋から直ぐ内子町寄りのところに御殿風の民芸調うどん屋を見つける。昼の時間帯だからほぼ満席であったが、雨に濡れた遍路を嫌な顔もせず、席をずらして座れる場所をみんなでつくってくれる。うどん雑炊650円。うどんと雑炊を鍋焼き用の鍋でごった煮にしたもの。どう見ても二人前の分量だ。鶏肉、椎茸、玉子、蒲鉾、野菜いろいろ。

5.宇和島、大洲,内子、を経由して松山まで伸びる内子線につかず離れず国道56号線は内子へ進む。十夜ヶ橋より3キロ程歩いた喜多山駅近くの国道右手に500メートル位の高さだろうか、垂れこめた雨雲の裂け目から突兀と小富士山がニョッキと現れた。周りは妨げるもの何もない平らかな大地。威圧されそうだ。神南山と言うとの事。良い名前だ。偉容にして雄大。

 国道は一寸した峠にかかる。この辺り五十崎町₍イカサキ〉という。峠の茶屋で伊予柑友人達へ送る手配する。峠を下れば内子町であった。午後2時過ぎ、新町荘旅館に着く。日観連加盟の古風でしっとりとした情緒溢れる旅館。女中さんが布団を敷いてくれたり、夕食、朝食ともに付ききりで給仕してくれる。普通の旅なら当たり前の事が遍路の身では贅沢の極みだ。夕食は一汁七菜、一泊二食8850円。夕食前に市内の散歩をする。大江健三郎氏の故郷である。四国の小京都である。旅館の近くに内子座がひっそりとたっていた。観光客一人もいない。心行くまであたりを散策する。内子座は讃岐琴平の金丸座と並んで四国双璧の芝居小屋である。