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遍路紀行 18日目 (1997年3月14日) 曇り、のち雨

行程

土佐清水市以布利の民宿旅路~38番金剛福寺土佐清水市足摺岬)~同じ道を打ち戻り久百百₍クモモ)まで   歩行距離 38キロ (延べ561キロ)

この日の出来事など  

1.地響きかと思う波音と地鶏の鳴き声で目を覚ます。朝4時半であった。7時半出発。宿より38番まで片道16キロ、38番打ち終わればUターンして民宿旅路を経由して昨日辿った道を下の加江方面に再び下って7キロ程先の久百々という小さな漁村の民宿に泊まる予定。全コース、土佐清水市内の遍路行。(同じ道を往復することを遍路達は「打ち戻る」というが、今日の行程は100パーセント打戻りである。道に迷うこともゼロ。)   

2.民宿の老奥さん、今は滅多に利用されていない海辺の旧遍路道や以布利漁港の案内を兼ねて30分ほど小生に随伴して見送っていただく.現在は足摺への遍路道が整備されて国道321号線を行けばよいが昔は危険な海辺の道しかなくさぞや難渋したことと思う。漁港を過ぎれば以布利の集落も途切れ、ここより321号線は大きく右にカーブして海岸を離れ、半島の背骨の山深いルートをとって土佐清水市の市街中心部を目指す。足摺岬へ行くには321号線とここで別れ、相変わらず進行左手に太平洋を眺めながら整備された県道を行けばよい。ここで38番を打ち終え39番へ向かう30代位の女性遍路に出会う。遍路行18日目にして初めての歩き遍路との遭遇だ。我が仲間だ。この道は先ほど説明した打戻道であるため遍路とすれ違うこともありうる。彼女は今日で24日目の由。陽に焼けて真っ黒。悪いが近寄らないと男女の区別ができなかった。数分間立ち話して情報交換。彼女は以布利の分岐で321号線に合流の後下の加江ルートをとらず321号線で土佐清水市へ直行し、そこから39番寺のある高知の宿毛市に向かうという。もう出会うこともあるまい。お元気で。

3.岬への県道は時に車すれ違い困難な狭い幅員に変化する。はじめてこの道を運転する者には気を抜けない危険な道路である。窪津とか、津呂とかいう漁村を通る。鰹節の加工工場が多い。独特の臭いが一面立ち込めている。どちらかと言えば悪臭だ。窪津では海岸線に沿ってクネクネと小岬を曲がり走る県道とは別に旧遍路道あり。蹲った馬の背骨のような小高い山塊が海に突き出た小岬を一直線に乗り越えてゆく遍路道だから距離と時間は節約できる。話が逸れるが、四国の遍路道1番から88番までの総距離は公称約1400キロであるが、これは自動車道の事ではないだろうか。歩き遍路道にはこのような古来からの遍路古道が至る所に残っているので、総距離はもっと短いと思う。現に、小生の総歩行距離は遍路地図による計算では1150キロ強であった。

 話をもとに戻す。馬の背骨を乗り越えて再び県道に合流、津呂の集落を過ぎる頃から車一台がやっとの状態となる。県道はいつの間にか椿の大木のトンネル道に化している。頃もよし。3月。椿、椿、椿の花の満艦飾の南国の岬であった。

4.午前10時30分38番金剛副寺打ち終わる。山門前の大駐車場は遍路バスや一般観光バスで大混雑である。.一体このバスの群れはどこから来たか。小生の辿った道は閑散としていたのに。さて、門前の駐車場兼用広場に足摺岬公園入口がある。灯台や断崖絶壁が見物できる。観光客に混じって遍路姿も多い。小生もやっぱり観光もしたい。折角南国の地の果ての秘境まで遥々歩いてきたのだから、我一人超然としてはいられない。白亜の灯台、絶壁、疾風怒濤、椿、円い水平線

5.11時過ぎ、今通ってきたばかりの県道を再び以布利方面へと打ち戻る。 昼食は津呂漁港の県道路傍で民宿旅路の老奥さん心づくしのお握りをいただく。12時半、窪津を過ぎたところで雨激しく降り出す。雨宿りする場所も無く、見えるのは右手に荒磯、左に断崖絶壁、落石注意の看板のみ。路上でリュックから雨具を取り出し激しい雨の中、濡れたままで雨具を着る。完全防水ゆえ通気性が無いため濡れた体が体温で蒸れる。オメガの腕時計が湿気でとまってしまった。疲れが激しい。午後2時20分、前夜の民宿に戻りつく。預けておいた荷物をリュックに詰め直し、老夫婦と別れを惜しみながら、重くなったリュックを担いで高い湿気で不快指数100パーセントの重い体を今夜の宿泊先の久百々の集落へ運ぶ。

6.午後3時半、久百々の民宿に着く。民宿の名は秘す。理由は後で判る。また誰もいない。玄関の前は県道越しに太平洋の怒涛が砕け散る岩礁が広がっている。眺めが素晴らしいので、玄関前にしゃがんで家人の帰りを待つ。やがておじいさんが帰ってきて、海の見える2階の部屋に通される。景色を楽しんでいるうちに女将さんらしい中年の女性も戻ってきた。どうやらおじいさんと小生の部屋の事でもめているらしい。理由もわからないまま、山側の部屋に移される。故障とは知らず部屋のエアコンを操作したのを見咎められて女将さんにガミガミと注意される。実は、昨日の午後以布利の宿への途次、この宿の前を通った序に、「明日おせわになりますと」と挨拶がてらに立ち寄って玄関のインタホーンを押したところ、家人は現れず件の女将さんらしき声でインタホーンを通しての対応で終わってしまっていた。民宿とは言えサービス業の関係者が斯くのごとき応対かと、いささか呆れ嫌な予感を持ったが正夢となってしまった。昨日の小生の対応に何か気に障るところがあったか振り返って考えてみたが、思い当たらない。遍路宿の人たちは皆親切で情け篤き人ばかりと思っていた小生の甘えか。(後日談。何年か後にある評論家の遍路エッセイを偶々読む機会あり。文中、この民宿の,わけても女将さんのもてなしぶりを激賞するくだりを読んで心中複雑な思いがしたが、さらに読み続けたら女将さんの述懐が紹介されていた。彼女によれば民宿経営の知識もななく、また料理も得意でないためこの仕事が嫌いであったが、ある時真心で接しさえすれば相手に通じると気づき、そう悟ったら気も楽になって、女将稼業も楽しくなったと。これで合点がいった。小生がお世話になったころは丁度悩んでいた最中であったか。人間、この不可思議なる存在。)同宿者無し。一泊二食6000円。