遍路紀行 17日目 (1997年3月13日) 激しい雨降り続く

行程 

ペンション四万十川土佐清水市以布利の民宿旅路まで

歩行距離 31キロ (延べ523キロ)

この日の出来事など

1.朝7時半ペンション出発。38番金剛福寺まで一日半の行程。激しい雨。国道56号線の大型車の流れは絶えることが無い。飛沫を全身に浴びながら黙々と行く。ひたすらみじめさに耐えて歩く。8時前四万十川に架かる渡川大橋₍トセンオオハシ)を渡る。雨に煙り見通し悪い。橋を渡ると56号線と別れ鋭角に左折して堤防上を走る国道321号線に合流する。今夜の宿泊地以布利までこの国道の世話になる。道に迷う心配皆無。堤防上の国道を挟んで左に四万十川本流が、右に中筋川が流れている。中筋川は河口近くで四万十に飲み込まれるように合流するが、この辺りでは四万十川が大きすぎて取りとめなく感じるに対して、中筋川はこじんまりとして岸辺は緑多く風情満点だ。四万十川はどちらかと聞かれたら、頭に描いているイメージだけで答える限り迷うことなく中筋川を指すだろう。

2.午前9時半、津蔵淵合流点を通過。足摺岬まで36.3キロの表示あり。ここで我が歩む国道321号線は四万十川に別れを告げ、大きく右に折れて西南に方角をとる。山中に入ってゆく。峠越えだ。途中、八十八ヶ所先達公認証を持つ60代ぐらいの男性が大雨の中にも拘わらず車を止めて、なぜか110円の賽銭お接待をいただく。暫し雨の中、先達の遍路談を聞かせていただく。

3.10時、伊豆田トンネル入り口に達する。1620メートルと長いこのトンネルは幅も広く、歩道は段差があって安全歩行。おまけに外は大雨でも、ここは雨知らずの快適空間だ。トンネルにもこんな利点があった。トンネル中間地点で中村市から足摺岬のある土佐清水市に入る。

4.足摺岬土佐清水市の最南端に当たり、太平洋上大きく南に突き出た半島のような地形の先端にある。この”半島”の基部に当たるところが土佐清水市の下の加江という漁村である。ここは交通の要衝で、東へ向かえば小生が今まで歩いてきた道程を逆行して室戸に向かい、南へ海道を行けば足摺岬から土佐清水市の中心部へ、北へ山越えの道を行けば半島の反対側のもう一方の基部に当たる宿毛市に達する。さて、下の加江には高知、愛媛両県境の山々から流れ落ちる水を集めて満々たる下の加江川が土佐湾に注いでいる。国道321号線はしばらくこの川を右に見て下ってゆく。あたかも隣り合うのを拒むようにポツンポツンと町並みが心細げに続く。川辺に沿って喫茶HIGEハウスという食堂が煙る雨の煙幕の中から現れた。この店も大河を背にポツンとただ一軒、川に飲み込まれるように立っている。雨はますます激しい。ずぶ濡れの雨具の滴を気にしながら扉を開ける。ストーブは赤々と燃えているが誰もいない。無人の店内で菅笠や雨具の手入れをしながら主人の現れるのを待つ。昨日の料理屋の海坊主と同じだ。待つこと20分以上。名前通りのヒゲの主人であった。寿司蕎麦定食600円。再び321号線を本日の最終目的地である以布利の漁村目指して行く。地形変化の激しい海岸線をゆく国道は上り下りの繰り返しや、右左に急カーブする危険な生活道路兼用の観光道路である。振り返ったら今歩いてきた下の加江の漁村が遥か目の下に見えた。雨は止んだ。途中、これまたポツンと水産加工店あり。うるめ生干しと赤目鯛の干物を家族に送る。3000円。クール宅急代1240円、このほうが割高なり。

5.午後2時10分、民宿旅路に着く。雨中30キロ強の歩行、ようやく本日はこれで手仕舞い。眼光鋭く、骨太の男性が留守番中。この家の主である。聞けば70歳とか、とてもそのようには見えない。言葉を飾らぬ物言いなので、初対面の印象はパッとしなかったが、悪げのない人柄であることはすぐわかる。間もなく戻ってきた65歳の奥さんともども本当に親切な素晴らしいご夫婦であった。昔は漁師の網元で、二男、三女皆独立して、今は二人で民宿を営んでいる。夕方までの2時間は石油ストーブを囲んで世間話に時間の過ぎるのを忘れるほどの楽しく愉快な一刻であった。洗濯一切奥さんがして下さる。

 夕食は魚尽くし。鰹に始まり、平目の刺身は絶品であった。いわし寿司。これがまた凄いほどの美味。食べすぎ。他に宿泊者なし。一泊二食6000円。  

6.夜、テレビは無い。この家は断崖絶壁の上に建っている。部屋の窓から外を覗いたら,20メートルほど直下に岩に砕ける白波が見えた。波音は白砂青松の寄せては返す優雅なものではない。太平洋の荒波が岩に砕け散る轟音である。遠くに目を転じると下の加江方面の漁村の灯がチラチラと瞬いて見える。寂しい眺めである。雨は今は止んだようだ。8時就寝。ここの主人夫婦に幸あれかし。