遍路紀行 16日目 (1997年3月12日)曇り

行程

佐賀温泉旅館~幡多郡大方町経由四万十川で有名な中村市のペンション四万十川まで

歩行距離 34キロ (延べ492キロ)

この日の出来事など 

1.38番金剛福寺のある足摺岬まではここより80キロの彼方。これより2日半を要す。午前8時出発。朝から雲が厚いが、何とか持ちこたえられるか。佐賀温泉は佐賀町の一方の外れにあるが、ここより町役場や漁港を通って隣町の大方町まで16キロもある海岸線の長大な町である。8時55分土佐くろしお鉄道伊与喜駅前通過。このどこか旅心を誘う名前の鉄道は昨日通った窪川から四万十川中村市を経由して高知県最西端の宿毛市までを結んでいるが、これでわかるように今日の中村市までの国道56号線の遍路歩きの道ずれは土佐くろしお鉄道である。これに乗れば中村市までアッという間に着く。祈るらくは、遍路を誘惑しないで欲しい。

2.佐賀町商店街や漁港前を通過して午前10時町はずれにある佐賀町営”土佐西南大規模公園”で小休止。運が良ければここから鯨ウウォッチングができるそうだ。そのためか海岸遊歩道が長い。曇天ではあるが海の彼方に目を凝らして歩く。

 白浜海岸、井の岬などの景勝地や井の岬トンネル、伊田トンネルを次々通過してようやく大方町に入る。ここですれ違ったおばあさんから煎餅,大福餅のお接待を受ける。相当嵩張り、また重いのでリュックにいれるが、重みで肩が痛い。愚痴るなかれ、罰が当たる。土佐くろしお鉄道は相変わらず小生につかず離れずである。東大方駅を過ぎて直ぐの宇呂という海岸で、国道に面したホテルレストラン”海坊主”に出会う。丁度12時。遍路には不似合いな高級な構えだが、周りをうかがっても食堂はおろか人家もない海岸線が続くのみだ。お世話になることにした。案内を請うも広い建物の為か応答無し。客もいない様子だ。生き胆を抜く都会からの旅人にとっては、昔はみな斯くあったかと思わせるような羨ましさと懐かしさを感じる。大声で頼もう頼もうと繰り返す。ようやく奥から仲居さんが走り出てきたが、物騒ではないかとの問いにそんなこと考えたことも無いとの答え。このような思考回路を育ててくれる環境が羨ましい。古き良き時代が偲ばれて懐かしい。海岸を正面に臨む清潔で広々とした個室に通され、仲居さんの世話で一人占めの豪華な昼食也。海の幸定食1500円。鰹のたたきをメインにえび、ほたて、あわび、いわごけ、とこぶしの刺身と煮物。ほかに、たこ、きゅうり、さくらのりの和え物など。

3.午後1時前、海坊主出発。56号線を行く足取りも軽い。大方町域のくろしお鉄道上川口駅前で自転車に乗った60代女性から500円賽銭お接待をいただく。お互い合掌。入野分岐という道標あり。ここより56号線を離れ遍路道は海岸遊歩道へ。この辺り、”入野の松並木”と呼ばれる景勝地である。海浜は海亀の産卵地としても知られる。再び国道に合流、午後2時10分西大方駅前通過.一輌だけのローカル電車が旅情を振りまいて追い越していった。中村市まではあと僅かだ。

4.ついに56号線の道路標識に”足摺岬”の表示が出た。四万十川まで7キロ、足摺岬まで56キロと。逢坂トンネルをぬけたら四万十川中村市であった。トンネル入り口には清流にトンボの壁画。水清き四万十川。歩道も幅広く快適なトンネル歩行。

5.午後3時過ぎ中村駅近くのペンション四万十川に着く。テレビ有料2時間100円、エアコンも有料。商魂たくましいか。いくら四国とはいえ、町中には町中の流儀があるからやむを得ないか。しかしお茶の用意もない。アルバイト風の女の子が二回目の催促で漸くもってくる。50代と思しき女将さんのガラガラ声が2階の小生の部屋まで聞こえる。しかし笑顔が大変可愛い人だ。とはいえ、何かしっくりと落ち着かぬ家だ。周りに民宿や旅館が山ほどあるのに一寸ついていなかったか。後で判ったことだが、ここは遍路宿というより仕事でこの町に長期滞在する若者たちが下宿代わりに多く利用するらしく、夕方10人を超す青年たちがドット戻ってきた。一人やっとの狭い風呂も洗濯機も順番待ちの行列だ。大学体育部の合宿寮のようだ。夕食も年配遍路向きでなく、メインは草鞋のようなビーフステーキであった。遍路16日目にして初めての大スタミナ肉料理。しかし、これが美味であった。ペロリと平らげる破戒遍路。夜は襖越しの話し声や廊下の足音など、案の定落ち着かぬ雨本降りの一夜となった。明日は激しい雨だとか。雨の四万十川の詩情や如何。部屋は国道に面しているので、大型車の水を切る飛沫の音が絶えることが無い。ネオンの点滅。”四万十の中村市”のイメージ”が狂ってしまった。一泊二食6000円。