遍路紀行 13日目 (1997年3月9日) 快晴

行程

33番門前民宿高知屋~34番種間寺吾川郡春野町)~35番清滝寺土佐市高岡町)~36番青龍寺土佐市宇佐町)~同じく宇佐町の国民宿舎土佐まで

歩行距離  32キロ(延べ392キロ)

この日の出来事など

1.。早朝6時50分高知屋の奥さんの見送りを受けながら出発。振り返っても、振り返っても奥さんが手を振っている。朝まだき日曜の町はまだ眠りの中。町を外れたら長閑な田園が広がっている。遍路道は舗装された農道である。辺り一面ビニールハウスばかりだ。野菜栽培用らしい。目標物何もないため地図を見ても自分の立ち位置の確認に難儀する。農道の電柱に遍路シールがところどころ貼られているのが頼りだ。8時、34番種間寺打つ。この時間、我一人のみ。

2。種間寺より35番清滝寺まで約10キロ。程なく高知県下の一級河川の大河である仁淀川の堤防に達し、ここよりやや上流の国道56号線を目指す。56号線までの道は高い壁のような堤防に沿って伸びており、仁淀川の河原も対岸の風景も全く見えない。56号線に合流するや、長い仁淀大橋を渡る。この国道は足摺方面への幹線道路である。55号線国道は室戸へ、56号線は足摺へ。これから足摺岬まで暫くのお付き合いとなる。仁淀大橋中間点で高知市春野町と別れ土佐市に入る。大橋を渡り終えて直ぐ56号線を右に逸れて再び長閑な田園地帯に入る。

3.仁淀川大橋を渡る直前に三輪自転車を漕ぐ老女を追い越す。呼び止められて400円の賽銭お接待をいただく。清滝寺方面へ行くという彼女と同行、大橋を一緒に渡り30分ほど歩きながら身の上話を聞く。この女性、81歳。久保内幸榮さんという。彼女の夫は先の戦争で戦死、若くして未亡人となったが、亡夫がまだ7歳の少年の時に登った66番雲辺寺の忘れられぬ体験をはなし聞かされていたこともあって、戦後に夫への追憶の思いから雲辺寺に登った由。今でも忘れられぬあの高山の名刹に貴方がここから遥々歩いてゆきなさるとはマア大した志や。繰り返しお褒めの言葉をいただく。(後日談。仁淀川大橋で写した彼女の写真を4月帰宅後送ってあげたら、鄭重で達筆な礼状とともに、赤、青、黄、桃色夫々のリボンで織った金魚を送っていただく。我が家の居間の天井から吊り下げられて泳ぎながらこの6月に生まれた孫の泰地のお守りをしてくれている。さて、これより20年を閲した現時点での更なる後日談。その赤ん坊も間もなく20歳の大学生。このブログも彼が開設してくれたもの。祖父と孫の権威逆転。なんぞ、歳月の疾く移ろいゆくことか!)

4.高岡町の喜久屋という旅館前で態々車を止めて70歳ぐらいの男性から500円の賽銭接待をいただく。10時20分、35番清滝寺を打つ。標高130メートルの小高い丘の上にある境内からは高岡町や仁淀川流域の村落が春の日差しを浴びてキラキラ輝いて見える。境内は紅梅満開。参拝者で賑わう茶店のおばあさんからポンカン5個のお接待をいただく。

5. 36番青龍寺に向かう。ここより約15キロ。途中3キロ程は今来た道を戻り、再び56号線に乗る。36番の在る宇佐町へは2ルートあり。一つは自動車道を行くルート。仁淀川に沿って宇佐の海に注ぐ河口まで大きく迂回しながら宇佐の海の宇佐大橋を目指す。大変な遠回りになるが、山越えは無い。もう一つは昔からの遍路古道だ。この古道は宇佐の海に向かって一直線に進む。しかし前途には遍路転がしで名高い塚地峠が壁となって立ちはだかる。名にし負う直登の塚地峠である。距離は前者に比しまるで短い。後者を行く。12時過ぎ峠登り口着。ここまでは立派な自動車道路だ。ここで行きどまり。宇佐の海にむかって峠直下を貫通するトンネルの掘削工事中である。現場が見える。これが貫通すれば自動車も大迂回がなくなり、アッという間に宇佐の海辺に達するが、遍路転がしの古道も忘れ去られるかも。遍路の歴史がまた一つ消えるおそれ。

6.用意していた昼の弁当は35番の境内でお腹に消えた。とにかくお腹が直ぐに空く。この辺りは人家も少ない寒村でコンビニ、食堂の類は無い。ましてや、峠の山中で食い物にありつける筈がない。覚悟を決め12時20分登りを開始。頼りは35番の茶店で接待されたポンカンの残り一つ。途中、峠まであと800メートルの道標あり。16両編成の新幹線ならば2編成分だ。東京駅の新幹線プラットホームは400メートル強。往復の距離に過ぎない。8分ほどで歩ける距離が30分を要した。峠通過。これより宇佐に入る。下り坂だ。左右に細い竹が群生している。暫く竹の細道が続く。サワサワと竹の葉を揺らして宇佐の海があるかと思われる方角から吹いてくる微風が汗まみれの遍路にはなんとも心地よい。宇佐の海と宇佐大橋がチラと垣間見える瞬間があったが、あとは下界の宇佐の町に下りるまで遠望の機会は無かった。午後一時、宇佐の町はずれの里に下りる。峠出入り口の近くにやっと食堂らしき建物見つける。季節外れの四国の食堂は店を閉じているケースがよくあるので,コワゴワ表に回ってみたら営業中であった。久保食堂。大盛焼きそば400円。店の女将さんによればここを通過する歩き遍路は二日に一人いるかいないかとの事。この店は遍路道関所のような要衝にあるので間違いでは無かろうが、すこし少ない感じだ。

7.宇佐はリゾートの町。海浜のリゾート。海越し左に見えた美しい姿の宇佐大橋を渡る。宇佐町の奥深く食い込んだ入り江状の浦の内湾を跨ぐ有料橋である。歩行者は無料。橋上から遠望する山々は今越えてきた塚地峠方面のものか。

8.午後2時15分、竜の浜休憩所立ち寄り。宇佐の海を満喫する。ここで同年配の男性から励ましの言葉に添えてポンカン4個お接待をいただく。今日だけでお接待4回。信仰心篤き土佐の人々。ここより暫く歩いたら36番青龍寺門前に着く。今夜投宿の国民宿舎は門前の背後に高く立つ山のうえだ。午後2時35分、青龍寺うち終わる。山門より本堂までは長く、急な石段が参拝人を威圧する。高齢者や特に団体バス遍路で足に自信のない向きは、山門で納経をすませて引き返すこと日に何十人にもなる由。なるほど、わかる気もする。

9.山門より国民宿舎までの登攀はわずか10分ほどの行程だが、塚地峠越えより更に苦しく、登り道に思わず手をついてへたり込む。動けない。30キロ以上の山坂を踏破してきた身にはこの日の最後の試練は強烈であった。お大師さんも厳しい。3時過ぎ国民宿舎土佐にチェックイン。ホテルスタイル。太平洋を一呑みの絶景。それはそうだ。これだけ顎が出るほど登ってきたのだから当然なり。案内された部屋からの眺めは一人で独占するのは罰が当たる感あり。言葉をうしなう迫力。日が暮れるまで太平洋と睨めっこして過ごす。現役時、まだ新米社員の1963年頃乗船実習で社船に乗り、太平洋、カリブ海、大西洋上で地球の円さを体感しているが、今日も地球は円かった。魚料理ずくしの夕食。一泊二食6500円。