遍路紀行 12日目 (1997年3月8日) 快晴 

行程 

旅籠土佐龍~29番国分寺(南国市国分)~30番善楽寺高知市一宮町)~31番竹林寺(同.五台山)~32番禅師峰寺(南国市十市)~33番雪蹊寺高知市長浜)~雪蹊寺門前民宿高知屋まで  歩行距離 37キロ (延べ360キロ)

この日の出来事など 

1.午前7時土佐龍出発。団体遍路さんたちは小生よりも早だちで、小生出発の時は昨夜の喧騒が嘘のごとく静まり返るフロントで支配人から確りと道順を教えてもらう。物部川に架かる長い戸板島橋を渡ると土佐山田町である。この辺りの畑は温室用のビニールハウスで占められ、静かな農道がその間を縫って伸びている。この辺り、目標、目印になるような物何もなく、一寸うっかりすると電柱に貼られている道標代わりの直径4センチ位の円い遍路シールを見落としてしまう。田んぼ道の途中に最近テレビで紹介された善根宿”都築”がポツンとただ一軒立っていた。農家の都築さんが歩き遍路を無料で我が家に宿泊お接待しているもの。陽が高くなるにつれ田んぼの至る所から陽炎がたち始めた。快晴。まだ3月というのに兎に角暑い。汗淋漓。真っ黒い手首が今日で更に黒焼きとなるだろう。

2.8時35分、29番国分寺打つ。10時前、知らぬ間に高知市内に入ったようだ。”はりまや橋7キロ”の標識に気づく。直ぐに30番善楽寺に着く。この寺は高知の一宮神社と神仏混淆で、寺域と社域の境が一寸見には見当がつかない。10時過ぎ30番善楽寺打ち終わる。

3.高知市の繁華街を歩いてはりまや橋や桂浜などの見物もしたかったが、31番竹林寺へのコースから外れて遠回りとなるので見物は敬遠する。右手遥かに高知市街を眺めながら国道32号線バイパスを急ぐ。高知市の郊外ではあるが名物の市電を目撃できて満足。

4.12時、31番竹林寺打つ。この寺は高知市のシンボルとして有名な五台山138メートルの高所にある信仰と観光の名所である。高知市の東、浦戸湾を見下ろす絶景の地で桜,躑躅で名高い。ケーブルカーや車ではアッという間だが、遍路古道の急坂では30分を要した。12時15分下山、32番禅師峰寺へ向かう。竹林寺境内のアイスクリーム売りの娘さんが懇切丁寧に道順を教えてくれる。これより約6キロ。高知市郊外を流れる下田川の堤防が遍路道になっている。延々と続く堤防上の遍路道。海が近いはずだが、ここは緑溢れる田園だ。ひばりが鳴き、鳶も舞う。無風、快晴。時間が止まったような長閑なひと時。携帯電話が鳴る。友人からの激励だ。南国の昼下がりの陽光の下、堤防の土手に座り今の感動を語る。下田川と別れ、田畑の野道や山間の山道など変化に富む風景の中を行く。武市半平太の生家と武市神社が並んでいる。午後2時前,ようやく食堂を見つける。遅い昼食。きつねうどん450円也。

5.32番禅師峰寺も80メートルの小高い丘の上にある。ここは高知市ではなく、29番国分寺と同じ南国市になる。80メートルといえど、長路歩き疲れた遍路にとって急坂の登りは難敵である。一息ついて休んで歩き出すと、また休みたい。一気に登り詰める。突然,八荒山禅師峰寺の山門が急な石段の前方に見えた。午後2時10分、32番禅師峰寺打ち終わる。大師堂の大師像は土佐湾の桂浜を見下ろしておられた。

6.午後3時55分、種崎渡船場に着く。禅師峰寺より渡船場までの一時間半は西日を真正面に浴び、それを避ける日陰もない一直線の単調極まる町中の道路で、疲れが倍加する。漸く着いたここの渡し船は昔より遍路道として許容されており、全遍路行程の中で唯一つ認められた乗り物である。渡し船とは言っても今は乗用車5,6台収容可能の小型フェリーである。県営、無料。午後4時15分発。所要5分。左手に浦戸大橋が迫って見える。船からは見えぬが更にその向こうに桂浜がある。かくてアッという間に浦戸湾を横切り対岸の長浜待合乗り合い所に着く。

7.午後4時半、33番雪蹊寺打つ。町寺。この寺は臨済宗。八十八ヶ所中禅宗は11番藤井寺と合わせて二ヶ寺のみ。ここの住職は納経帖の墨や朱を乾かすのに決してヘアドライヤーを使わせないと聞いていたが,偶々団体遍路の人たちにそのことで注意している現場を目撃した。殆どの納経所にはヘアドライヤーが常備されていて、納経帖に記帳後の墨や朱の湿りを乾燥させるためにそれを使えるように便宜を図っている。湿りをよく吸収する和紙か新聞紙を遍路の心がけとして用意して墨書した部分に挟めば隣の白紙の紙面には写らない。納経所の隅でガーガー騒音をたてて乾燥させているおおよそ札所らしくない無粋な慣行は多くの札所で流行しているようである。

8.雪蹊寺門前の民宿高知屋に投宿。見た目には変哲もない表構えであるが,あるじである中年の美しい女将の親切なおもてなしが心に沁みた。洗濯は小生にさせず、洗濯物を取り上げられてしまった。一切お任せ。夕食は豪勢!豪快な鰹のたたき。これだけでも食べきれない。大蛤の澄まし汁。車海老,小芋,南瓜の甘煮。野菜の和え物。化け物まがいの大粒苺のデザート。銀座千疋屋の苺もかくやと思はれるおいしさ。全て部屋まで運び込まれ、食事終わるまで遍路のよもやま話をしながらのお給仕。朝食も手の込んだ献立で、朝早くからの食事支度だろうと素人でもわかる。出発時には、玄関の上がり框に腰かけて靴を履く小生の為に,わざわざ座布団が置かれていた。頼みもしていないのに、お握り弁当を手渡される。これでなんと一泊二食5000円。心から合掌。おもてなしに対する遍路の返礼は納経札を渡すこと。納経札には住所、氏名、年齢を記す。本堂、大師堂で納経に先立って、遍路札を納札箱に入れる。その小生の札を見て、今の今まで小生の事を30代の遍路さんと思っていたという。複雑な心境也。慈母のような温かさに溢れる数々の接待に癒され,去りがたい思いで女将さんに合掌長浜を後にする。姿が小さくなるまで手を振る女将さんと遍路。