遍路紀行 11日目 (1997年3月7日) 快晴

行程

浜吉屋旅館~28番大日寺(香美郡野市町)~大日寺門前の旅籠土佐龍まで

歩行距離 35キロ (延べ323キロ)

この日の出来事など

1.南国土佐の雨は凄まじい。未明バケツをひっくり返したような豪雨の音に目が覚める。明ければ今朝の爽やかな青空。初夏の日差しだ。7時10分老奥さんに見送られて出発。8時安芸市域に入り大山岬に到る。ここは安芸市郊外の景勝地で、砂浜の輝きはひと際鮮やかだ。死語にになったと思っていた”白砂青松”という言葉が突如蘇る。安芸市は童謡と縁の深い町とか。因みに”浜千鳥”が作詞された舞台がこの浜辺だそうである。海辺の公園には坂本竜馬の妻のお竜さんと妹の銅像がたっていた。

2.9時15分、安芸市市役所前を通る。さすがに安芸市高知県下でも高知市に次ぐ都会だけはある。広い国道に沿ってビル街が延びている。「阪神タイガースがんばれ」の幟が市役所の壁に架かっている。ここはタイガースの例年のキャンプ地である。タイガース歓迎の看板,幟はいたるところにある。町を挙げての応援か。中心街から少し離れたところに坂本竜馬の友であり又小生現役時の勤務先の始祖である岩崎弥太郎生家の標識を見つけたが、急ぐので素通りした。

3.市街のはずれで50代の男性から呼び止められ励ましを受ける。今から歩く遍路道の詳しい説明を受ける。説明どうり市内津久茂町で国道55号線から左に折れて海岸線に並行した幅員2メートル位のサイクリングロードに入る。遍路道兼用のこのロードは土佐湾の海浜に沿って安芸市芸西村夜須町を縦貫して香我美町までの総延長12キロの素晴らしい景色に恵まれた人間専用道路である。良い道を教えていただいた。教えてもらっていなければ、浜辺に沿ったこんな歩き冥利に尽きる裏道があると知らずに同じ12キロの道のりではあるが、排気ガスを浴びながら55号線を歩いていただろう。聞けば、このサイクリングロードは土佐鉄道の廃線跡を再利用したものだそうで、そういえば昔は列車用のトンネルであったらしい天井の高いトンネルがそのままに残っている。

4.サイクリングロード途中の赤野岬休憩所(安芸市)手前で、どこからか「お遍路さん」と呼ぶ男性の声。今この道に居る人間は小生のみ。誰かと探せば、頭上の跨線橋から先ほどの男性が手を振っている。何んと驚き感激したことには、一時間半前に小生と別れた後に、この人は土佐名物皿鉢料理の折詰を急ぎ用意して自動車で此処まで先行,教えた通りの人間専用道路で小生が通るのを待っていた由。人の情けを超絶した大師の化身か。有り難く、嬉しく目が潤む。土佐湾を背に記念の写真撮る。しかし、何たることか。感激のあまり自分を名乗ることも、お名前をお聞きすることも忘れた小生の迂闊さを恨む。ご無礼のほど何卒おゆるし下さい。

5. 赤野岬を過ぎれば右前方に白亜の高層ビルが見えてくる。土佐有数の高級リゾート土佐ロイヤルホテルとの事。12時、サイクリングロード途中で絶好の昼食休憩場所を見つける。松林に囲まれた芸西村プール休憩所だ。爽やかな海風が松籟を誘っている。土佐湾に直面するプールの階段に腰かけて、いただいたお接待の折詰めを開く。白身魚の握り寿司、バッテラ。食べきれない。他に蒲鉾、白魚が別の容れ物に一杯だ。美味しさもさることながら、土佐の人の優しさに胸が詰まる一刻を過ごす。12時50分、夜須町手結海水浴場を通る。ここで12キロに及ぶ人間専用道路は終わり、再び国道55号線に合流する。70代のおばあさんから100円のお接待をいただく。55号線に沿って香我美町、赤岡町を経て28番大日寺のある野市町に着く。途中、55号線と別れ県道に入る。午後2時50分大日寺を打つ。 

6.午後3時過ぎ門前の旅籠土佐龍投宿。名前が古めかしいところを見ると、昔からの遍路宿であったのかも。しかし現実のこの宿は名前とは裏腹に遍路宿としてはモダーンな鉄筋建築で設備も抜群だ。有料だが全自動洗濯機と乾燥機が10台以上並び、コインランドリー顔負け。風呂は一流温泉の大浴場並みだ。食堂は200席以上と仲居さんが話す。遍路で満席の状態だ。土産売店も大規模。聞けば、バス団体遍路が主客とかで、いくらシーズン外といえども一人遍路をよくぞ泊めてくれたものである。しかもこんな季節外れでも、夕方にはバスが続々到着して小生の宿泊部屋の周囲の部屋も廊下もバス遍路で溢れ騒然としている。周りの部屋は皆一部屋に4,5名か。しかるに同じ規模の小生の部屋には小生一人。宿泊代一人分のみ一泊二食7210円では申し訳なき次第である。そうだから言うわけでは無いが、フロント、食堂、売店の従業員の皆さん本当に素朴で、人擦れしていない対応が心に残っている。大師のお恵みか。