遍路紀行 10日目 (1997年3月6日) 快晴

行程

民宿うらしま~27番神峰寺(安芸郡安田町)~神峰寺登山口前の浜吉屋(同)まで

歩行距離 34キロ (延べ288キロ)

この日の出来事など

1.民宿うらしま7時10分出発。快晴。今日も暑くなりそうだ。道は相変わらず国道55号線。迷う心配なく快適に歩ける。足のまめも次第に快方に向かい、両足小指裏の水膨れは乾燥して白く固まってきた。道も安心、足も安心、山登り無し。距離のみ34キロと長いが、何不足ない好日となりそうだ。

2.8時、室戸市の吉良川という古風な軒並みの続く集落に入る。何か埃っぽく活気に乏しそうな感じだ。国道は道路を挟んで向かい合う両側の家の軒並みがぶつからないかと思うほどに狭いが、これでも天下の国道55号線である。炎天下の徳島市内の55号線を知っている小生にとっては信じられぬ変貌ぶりだ。人影少ない路地裏のような国道を車が荒っぽく走ってゆく。9時漸く海岸道路に出る。閉塞された気分から解放される。途中乗用車が止まって乗って下さいと車接待を受けるがこれだけは鄭重にお断りする。石川ナンバー、40代の男性。彼もどうやら車遍路さんらしい。長い海岸道路が続く。幅員の広い立派な歩道が珍しく続いており、危険のない気持ち良き歩きができる。羽根という集落を通る。ここはまだ室戸市域である。室戸阿南海岸国定公園の標識がある羽根岬通過。

3.ほどなく、いよいよ室戸市と別れ安芸郡奈半利町(ナハリ)に入る。55号線は長い海岸道路だ。風景は全く単調で、国道はどこまでも一直線、あたりに島影、入江、岬など疲れと倦怠を救ってくれるもの何一つも無く、土佐湾は無限に広く、照り付ける南国の陽光の下熱砂の浜辺が続く。まだ3月初旬というにも拘わらずである。水筒はすぐ空になる。幸い自販機が各所にある。自販機とコンビニは四国でも人の気配あるところでは不自由しない。

4.11時20分、奈半利川にかかる奈半利大橋を渡り安芸郡田野町に入る。橋畔の食堂で早めの昼食。穴子の蒸し寿司とぬたの和え物600円。なんと美味で、なんと安いことか。再び55号線を行く。奈半利川から田野町の終わる安田川までの55号線は相変わらず飽きもせず土佐湾を左に見て延びる4キロほどの道のりである。正午過ぎ安田川を渡って間もなく27番神峰寺分岐の標識に出くわす。宿は間もなくだ。しかし時間が早すぎる。27番への登山口前にある安田町の浜吉屋旅館に12時半到着。あまりに早い到着の為旅館の老奥さんが驚いて歩いてきたと信じてもらえない。今朝出発した室戸市元からの歩きの場合到着は午後4時頃だという。

5.リュックを奥さんに預けて27番神峰寺へ参る。昨日の26番金剛頂寺への往復と同様のケースだ。標高570メートルの山寺。旅館は土佐湾の浜辺が直ぐ近くだから、掛け値なしにこの高さを登らねばならぬ。名前までが神の居ます峰なのだから険しい山と覚悟して出発する。急坂の遍路道は自動車道兼用だ。急勾配ゆえに畑、田んぼは段々づくりになっている。段々畑は一面蓮華、すみれの絨毯である。急峻な道路沿いの用水路は幅は狭いが豊かな急流となって駆け下る。一歩進めるごとに高度を稼いでゆく。立ち止まり振り返れば眼下に土佐湾の紺青、仰げば紺碧の空、周りを見れば菜の花、梅、桃、蓮華にすみれと総天然色の神峰寺への遍路道である。宿より神峰寺まで片道3キロ半、平地なら30分の距離が1時間を要して午後1時半山門に到る。2時まで境内で遊ぶ。ここの湧水は土佐名水として名高い。汗一杯掻いた人間にはなおの事甘露であった。水筒にも名水を一ぱいいれて旅館への土産にした。復路の下りは毎度のことながら楽だ。跳ぶように駆け下りて2時半には浜吉屋で旅装を解く。

6.この旅館の古色蒼然の雰囲気には驚いた。これまでの遍路宿でだいぶ慣れてはいるのだが、明治か大正時代を描く映画に登場させても違和感は無かろう。廊下も部屋も埃が舞う。老奥さんが一人で切り盛りしているのだから仕方がない。部屋にはテレビどころか机も無い。机の無い日本間は落ち着かない。どこに座ればよいか。夕食は田舎料理風でおふくろの味が思い起こされて懐かしい。老奥さんの一生懸命の労作、もてなし。美味しくいただく。一泊二食6000円。同宿者無し。

7.今日は小生62回目の誕生日。手も顔も日焼け真っ黒で,一寸見には何歳か見分け困難かもしれぬ。特に手の甲が黒く、反対に掌の白さが際立って目立つ。心の中で一人62歳の誕生日を祝い、いくら何でも少し早いが夜7時過ぎ床に就く。