遍路紀行 8日目 (1997年3月4日) 快晴

行程

みなみ旅館(徳島県海町部)~室戸岬へ。ひたすら国道55号線を南下。徳島県宍喰町から高知県東洋町に入り、太平洋を臨む長大な海岸線と荒磯で有名な淀ヶ磯を一気に歩きぬけ、今夜の投宿先である民宿とくますのある室戸市佐喜浜町までの長丁場。

歩行距離 35キロ (延べ229キロ)

この日の出来事など 

1.7時40分みなみ旅館出発。今日も終始55号線だ。快晴。暑い。宍喰町は温和な美しい海岸と、ゴルフの尾崎兄弟の生まれ故郷で知られている。辺鄙な漁村に何とも不釣り合いな、けばけばしい南欧風リゾートホテルらしきものが建設中であった。午前9時、出発して8キロの地点で水床トンネル(638メートル)を通過。トンネルを出たら高知県の東洋町であった。ついに阿波から土佐の国に入った。水膨れも終息期を迎えたようだし、これなら全行程通しての歩き遍路ができそうだ。 

2.東洋町は風光明媚な甲の浦₍カンノウラ)で名高い。9時20分、甲の浦漁港前を通る。ここは阪神地方よりのフェリーボートの寄港港である。北欧のフィヨルドに似て山深くまで入り込んだ入り江が印象的な漁村である。東洋町の中心地は二つに分かれているのだろうか。一つは徳島寄りの甲の浦地区。もう一つは隣町である室戸佐喜浜町寄りで町役場などの行政機関がある。この二つの地区はかなり離れていて、55号国道が山坂峠道を上り下りして両点を結んでいる。この辺りの山間はポンカンの産地だ。沿道で直売の露店を出していた老夫婦のところに立ち寄る。近くで蜜柑栽培をしていると。試食させてもらったポンカンの美味なこと。自宅に宅配を頼む。一箱4000円。配送料1100円。おばあさんから別にお接待としてポンカン12個、それに化け物のようにでかいブンタン3個をいただくが、、なにせ水物のため重いこと。初夏を思はせる南国の陽光のもとをポンカン、ブンタンの入った大きなビニール袋を提げて汗をかきかき山間の国道を行く。東洋町の町中には探せば食堂もあったのであろうが、まだ時間も10時頃だし先を急ぐ。しかし、これが裏目に出た。今日は深山を歩くのではなく、国道に沿って有名な景勝地の淀ヶ磯を行くのだから、昼食をとるには不自由するまいと思って弁当なしでここまで来たが、見込みが外れた。

3.東洋町の外れの野根川を渡ると太平洋に突き出た鼻状の岬が左前方に見えてきた。伏越岬である。これより淀ヶ磯である。午前11時、東洋町の淀ヶ磯橋通過。淀ヶ磯海岸は総延長16キロ。東洋町側が8キロ、残り半分が室戸市佐喜浜町管轄の海岸で、長大な荒涼とした荒磯が延々と続く。片側一車線だがこれも国道55号。整備された観光道路だ。海面すれすれに右に左に忙しくカーブしながら室戸へ続く。誤算はこの長大な海岸には食堂はおろか人家すら一軒も見当たらない事で、昼食は絶望と覚悟した。接待でいただいたポンカン、ブンタンが有難いことに昼食の代用となってくれた。この日、旅館に着いた時にはポンカン数個を残すのみであった。

4.淀ヶ磯は人の気配のする世界ではなかった。人家無し。走行車も殆ど無し。人は我一人。55号線の右手は断崖絶壁が聳え、左は怒涛逆巻く太平洋と奇岩怪石の荒磯。この国道は太平洋に崩れ落ちるような断崖を削り取ってつくられたに違いない。眩しい陽光、紺碧の空。目を海に転ずれば沖の黒潮の紺青と岩に砕ける波の白。黒白二色の対称の妙。聞こえるは怒涛の轟音と岩を斬る風の音。鴎や鳶などの鳥影もない。風が強すぎるためか。車の走らぬ車道を堂々と歩く。寝そべってみる。車は影も形も無い。10分に1~2台か。走り去る車が妙に人懐かしい。歩けど歩けど、痛いような南国の陽光と緑の断崖と鋸の歯のような岩礁と白い怒涛と太平洋とクネクネと延びる国道。暗黒の密室であるトンネル内の一瞬の静寂は沈黙の死霊の世界を想起させたが、ここは鬼神が統べる荒涼として荒々しい死の世界である。大昔の遍路達はこの岩だらけの海岸を、人を襲う怒涛の恐怖と闘いながら必死に大師の加護を祈りつつ伝っていったのだろうか。16キロにわたる男性的な風景を眺め歩き続けると気分も単調になり、疲れを覚え始める頃、淀ヶ磯もやっと終わりにちかずいてきた。”室戸岬まであと26キロ”という標識が現れた。午後2時、ついに室戸市域に入る。ここまでくると風景に変化が現れてきた。平坦な土地が現れる。これで人が住める。

5.淀ヶ磯もそろそろ終わりになる頃、海に突出した鼻状の狭い台地にチョコンと一軒だけ立つ食堂を見つける。机坂食堂。室戸市佐喜浜町内。大盛かけうどん一杯350円。ポンカン腹がやっとの事でうどん腹になって胃袋も満足げである。午後3時、佐喜浜町尾崎の民宿とくますに着く。民宿とはいうが、堂々たるお屋敷だ。ここも周辺に人家無し。屋敷の正面国道越しにサーフィンビーチと荒磯が同居する絶景の眺めが展開している。部屋のテレビはボタン操作の白黒テレビで、骨とう品よろしく狭い床の間に鎮座している。同宿遍路はいない。土木作業員らしき若者達が大勢下宿代わりに長期滞在しているようすだ。食堂では残念ながら彼らとの会話は弾まなかった。一泊二食6000円。