遍路紀行 7日目(1997年3月3日) 小雨、のち晴れ

行程

23番薬王寺門前の千羽ホテル(海部郡日和佐市)~同海部町のみなみ旅館まで

歩行距離 35キロ (延べ194キロ歩行)

この日の出来事

1.8時10分千羽ホテル出発。遍路宿でないため、朝食時間遅く出発も遅れる。阿波の札所はこれで全て打ち終わり、いよいよ今日から土佐高知に向かう。土佐修行道場の最初の札所である室戸の24番最御崎寺₍ホツミサキジ)までここから約90キロ、ほぼ二日半の歩き修行となる。9時前、国道55号日和佐トンネル(670メートル)通過。この辺り歩道ほとんど無いため、身体すれすれにトラックが走り怖いこと。加えて雨水をはねる飛沫が諸に遍路を襲う。今朝はトラックの行き交い多く、トラックの恐怖と飛沫の直撃で難渋するも、このトンネルまでの4キロを50分弱で歩けたのは身体好調の証拠だ。

2.日和佐トンネルを抜けるとJR牟岐線が左手に見えだす。55号線は長い下りになっている。身体が軽い。気が付けばトラックの通行量も少なくなり、歩道は無いが段差のついた側溝が歩道代わりとなって気楽に歩ける。.一つが好転すると面白いことに万事よくなる。23番より約16キロ、標高280メートルの寒葉坂通過。これより徳島県牟岐町域に入る。日和佐とはこれでお別れだ。”さよなら。海亀の来る町ーひわさ”の標識がある。

国道から見える牟岐の山並みは雲が切れ今にも雨が上がりそうだ。牟岐川を渡り暫く川を左手に眺めながら行くと、JR牟岐駅前の市街地に達する。牟岐町の内妻海岸はここよりすぐ先である。室戸岬まで60キロという道路標識が見えた。歩行体験一週間も重ねると歩き慣れによるものか、60キロという数字にはプレッシャーを感じなくなってきた。最初はあと59キロ、あと58,57キロという風に歩行距離が減ってゆくことに気がとられつつも、数字がなかなか小さくならない。これは結構苦痛であったが、今はあと2日分の距離と思えるようになってきた。細事に囚われず。発想の転換

3.薬王寺より約28キロの地点で牟岐町古江から海南町に入る。国道55号線は相変わらずJR牟岐線と海岸に挟まれるようにして室戸を目指す。間もなく同町の番外霊場鯖大師に着く。宿泊所もある立派な番外札所である。海南町の浅川湾を望む風景は美しい。観光バスも速度を落として走っている。”室戸阿南海岸国定公園”だ。歩行速度も遅く、周りの風景を眼底に焼き付ける。

4.薬王寺より約34キロ地点で海部川を渡る。渡れば海部町である。いつの間にか天気も快晴になった。海部町の海岸線は短い。隣町の宍喰まで僅か2キロ半と間口が狭い。午後2時、海部町のみなみ旅館に着く。時速6キロ、約6時間の歩行。全行程、山坂殆ど無き55号線の歩みのため迷うことも無く,快調に時間と距離を稼げた。

5.少々早すぎた到着であった。午後4時には風呂も済ます。部屋は質素なものであったが、夕食は海の幸で溢れんばかりの豪華版。蟹,海老,鱸の刺身。これだけでも食べきれない。更に鰻の蒸篭蒸し。これが圧巻。一泊二食8400円はこれまでの遍路宿より高いが料理の素晴らしさで納得。

6.両足小指裏の水膨れの腫れがひき始めた。痛みも軽く、今日の歩行は楽であった。手入れは相変わらず風呂上りと朝の出発前にするのが日課であるが、今後は新しい水膨れに悩まされる事態は起きまいという予感を我が身体が感じ始めている。 さあ、明日はまだ知らぬ高知県に入る。