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遍路紀行 6日目 (1997年3月2日) 晴れ、風冷たい

行程

民宿龍山荘~22番平等寺(同新野町)~23番薬王寺(海部郡日和佐町)~薬王寺門前のホテル千羽まで  歩行距離 29キロ (延べ159キロ)

この日の出来事

1.朝7時半,龍山荘出発。22番まで約8キロ。遍路6日目になるが、身体のリズムが漸く固まってきたようだ。歩き始めて1時間程経過した頃の体調がベストになってきた。所謂ウオーミングアップが出来上がる頃ということか。1分間で大股135歩約100メートル、10分1キロ、1時間6キロが小生の平地巡行速度だ。9時、22番に着く。9時30分打ち終わる。バスの団体遍路とかち合う。納経所で朱印を戴く順番待ちに相当時間がかかると覚悟したが、納経所の僧侶が小生をチラッと見て「歩き遍路さんやし、一人だけやから先にやったるで。納経帖だしてんか」と、団体遍路さん達にも気を遣いながら小生を優先させてくれる親切なもてなしをいただく。有り難く嬉しい心配り。これで30分は時間が節約できる。

2.23番へ向かう。鉦打(カネウチ)という地点で国道55号線に再び合流する。徳島市内以来の再会だ。交通標識に室戸岬と表示が出てきた。四国の象徴、あの室戸岬がついに現実の姿となって小生の眼前に展開する日も近い。室戸岬までの3日間は55号線を行くことになる。道に迷う心配もなく、目を瞑ってでも室戸に行き着けるので気が軽い。幸いなことにこの辺りより室戸までは車の通行量が少なくなる由。室戸へは鉄道が無い。船か車のみ。しかも、ここから100キロ以上も離れた過疎の地である。人口も少ない。従って、この区間の55号線は産業道路の性格が希薄である。車が少なくなるのもむべなるかな。さて、鉦打交差点より55号線を一路23番薬王寺のある日和佐へ向かう。山また山に囲まれた国道ゆえ、沿道は人家など人の気配皆無。宿に弁当頼んだのは正解。ただし、弁当を開くにも国道から身を隠す場所もなく、やむなく国道の側溝に座って食す。

3.6日目にして初めてトンネルに出会う。鉦打トンネル。短かかったが歩道なく、緊張して通過。この辺りトンネル多し。福井トンネル、星越トンネルを通り抜けたら日和佐町域に入った。

4.トンネル、いわゆる隧道を全行程でいくつ通過したかは記憶にない。長いものは3キロ強もあったが、長短関係なくトンネル通行中に人と出会い、すれ違ったことは一度もなかった。自動車の通行量が激しいときは懐中電灯を矢鱈と振り回す。行き交う車がパタッと消えるようにいなくなる時もある。深い闇の底に沈む死んだような静寂の中に、金剛杖の鈴の音だけがチリンチリンとあたりに反響して不気味だ。

5.午後1時半、23番薬王寺に着く。意外に早く着いた。阿波徳島最後の札所だ。本尊薬師如来は厄除けお薬師さんとして四国の人々の尊崇を集めており、今日は日曜日ということもあって参詣を兼ねた観光客で大賑わいである。33段の女厄坂では婦人たちが各段ごとにお賽銭の1円玉を置いて厄払いをしてゆく。男厄坂の石段は42段。これも同様のしきたり。とにかく,石段という石段は1円玉だらけで足の踏み場もない。また朱色が鮮やかに映えているゆ祇塔(ユギトウ)までの本堂からの石段数は61段で還暦の厄坂を意味している.この塔は小高い丘の中腹にあり、日和佐市内を縦貫して流れる日和佐川や市街、漁港などを一望できる。

6.午後2時半千羽ホテルにチェックイン。温泉ではないが、大浴場あり。日帰り入浴客でロビー大混雑だ。ここは遍路宿ではないので、洗濯設備がない。部屋に付属の風呂も故障していて湯水がほとんど出ない。さればと言って、たくさんの入浴客がいる大浴場で洗濯するわけにもいかず、結局部屋のちょろちょろ水を使って一苦労する。食事は満足。夕食は海の幸尽くしの大漁盛り。朝夕食ともに仲居さんが部屋で奉仕してくれる。そうだ、ここは今までの遍路宿ではなく、観光客相手の旅館だった。分不相応だったが、日和佐では薬王寺参拝かたがたの観光客向け旅館ばかりで、遍路宿は見つからなかった。一泊二食10300円。