遍路紀行 4日目 (1997年2月28日) 快晴、風強い

行程

 13番門前のかどや旅館~13番大日寺(徳島市一宮町)~14番常楽寺(同国府町)~15番国分寺(同)~16番観音寺(同)~17番井戸寺(同)~18番恩山寺小松島市田野町)~恩山寺門前の民宿ちばまで  歩行距離 26キロ (延べ102キロ)

この日の出来事など  

1.朝7時半かどや旅館の若女将に見送られて出発.。先ず旅館横の13番大日寺打つ。朝から素晴らしい好天である。徳島市は24日以降春のような陽気が続いているらしい。14番へは女将さんに教えられた通り、旅館横の田んぼの畦道を抜け鮎喰川に突き当たり、堤防上を行く。土手には土筆が頭を出している。小学唱歌の”春の小川”を口ずさむ。良い気持ちだ。鮎喰川を渡り7時50分、14番常楽寺打つ。ここより17番までの三ヶ寺は距離で僅か4キロ程の間にあり、住所も同じ町内の国府町内の町寺のため道に迷う心配もなく快適な遍路行を楽しめた。JR高徳線国府府中駅横の踏切を渡ってすぐに15,16番を打ち、少し歩けば17番山門に到る。15番国分寺8時20分、16番観音寺9時、17番井戸寺10時10分いずれも山門到着時刻。

2.四国は弘法大師の昔より行政上の区画は阿波(徳島県)、土佐(高知県)、伊予(愛媛県)、讃岐(香川県)の4ヶ国に分けられ現在に至っている。国分寺は夫々の国の国府に建立された。従って、八十八ヶ所の中で国分寺の名を持つ寺は4ヶ寺、即ち阿波の15番、土佐の29番、伊予の59番と讃岐の80番である。また、八十八ヶ所国別分布は以下の通り。

  阿波(発心の道場)  1番 ~ 23番     遍路道 約210キロ

  土佐(修行の道場) 24番 ~ 39番     遍路道 約408キロ

  伊予(菩提の道場) 40番 ~ 65番     遍路道 約365キロ

  讃岐(涅槃の道場) 66番 ~ 88番     遍路道 約163キロ

なお、-番札所を「打つ」と言う言葉遣いは、納経を済ませ参拝を終えた印に昔は寺の柱などに生国氏名を墨書した木札を打ち付けたことに由来するとか。

3.井戸寺で大師所縁の古井戸に覗き込むように顔を映していたら、客待ち中のタクシーの運転手さんが寺の由来を親切に説明してくれる。「こんなに顔のはっきり映るお遍路さんは珍しい。えれえ、丈夫なお人なんじゃな~」と褒めていただく.。因みに、言い伝えによれば顔が映らぬ者は3年以内に命を失うとか。

4.井戸寺より18番へはまず県道30号線を行く。間もなく国道55号線に合流し徳島市の中心街へと向かう。井戸寺より18番までは18キロ強。殆どを55号線で行く。四国の数ある国道中の大動脈と聞くが,成程東京の環状7号線並みの通行量か。車の流れは間断なく、途切れることが無い。殆どがトラックだ。途中、バイク遍路中の40代の女性がバイクを止めて小生を激励してくれる。遍路も色々あるものだ。中鮎喰橋を渡る。昨日は鮎喰川の源流を歩いていたが、今日はもう河口近くだ。あれほど水満々の清冽な鮎喰川が今は川と言うのに水の流れが無い。

5.正午、徳島駅前通過。駅前はそごう百貨店が占めている。この後、道を間違える。大きな街では道路の交差が多すぎて、余程目につく目標が無いと左折、右折を間違える。高知、松山、今治の市内でも間違えた。また、こんな都会では道を尋ねても答えられぬ人が多い。

6.市内の中華そばやで昼食。市内の遍路道を外れて迷い込んできた遍路を見て、女将さんには歩き遍路が珍しかったようで、あれこれ話しがてらに激励してくれる。食事しながらテレビの昼のニュースを何気なく見ていたら、小生現役の頃から日米間で燻っていた日本の港湾問題で、米国連邦海事局が遂に米国に寄港する日本商船に対し高額の制裁金を課するとの対日制裁発動の旨を報じる画面で、小生勤務先であった日本郵船会社先輩の坂田副社長が日本港湾協会長としてコメントする姿が映っていた。まさかこんなところで,かっての職場の親しかった人の姿をみかけるとは!浮世を離れた出世間にいるつもりの人間が俗世間に立ち戻ってしまった。

7.国道55号線バイパスに入る。既に徳島市中心部はぬけている。片側3車線、一直線に単調に走る大動脈。午後1時、徳島市の象徴の眉山が右手に見えてきた。5月を思わせる暑さ。ここは2月末というのに、初夏である。昼から風が強い。南風か。菅笠は雨には強いが、風には弱い。風圧で笠が吹き飛ばされそうだ。右手に金剛杖、左手で笠の縁を掴み、強い向かい風に身体を預け国道をひたすら歩く。単調、無味乾燥な風景。疲労が倍加する。勝浦川を渡る。ここでバイパスの中ほどか。先は遠い。一に体力、二に忍耐克己心。沿道には食堂が多い。いずれも大駐車場完備。この辺り、6車線の国道の左右は偶に事務所風のビルと食堂が散見される程度で商店は見当たらない。見まわす限り徒歩の通行人は小生のみ。疾駆する車、車。周辺の食堂は自動車客が相手であろう。”日愛”という民芸風御殿を模したうどん屋あり。昼食から左程時間は経っていないが休憩もしたいので入ってみる。一人歩きの遍路は矢張り珍しいのか仲居さん達から大歓迎を受ける。一番安いものを頼む。それでは冷やしうどんが良いという。木造で和船を模った30センチ位の入れ物に縦一列に盛り付けされた大盛讃岐うどんだ。つけ汁には鶉卵を割る。これが最高に美味。これで500円。安さと量と美味しさと盛り付けの見事さに感激。仲居さん達に賑やかに見送られながら勇躍行進再開。

8.午後3時15分民宿ちばに着く。13番門前宿を今朝発ったのであれば、ここには午後6時頃到着が普通とか。リュックを預け、身も軽く18番恩山寺を打つ。同宿者は他に2組。マイカー遍路の60代の夫婦。ほかに名古屋からの小生と同年配の男性遍路一人。足が弱いのでタクシーでカンニングしていると。明日もタクシーだそうだが、交通費が大変だろう。彼から夕食の席で酒を勧められたが断る。彼も遍路の身、無理強いはしなかった。一泊二食6400円。

9.ついに、水膨れができる。秩父巡礼を含め前もって300キロ程歩いて足を鍛えたつもりであったが、矢張りできた。両足小指裏に加え今日は左足踵横に3センチ大の血まめ。明日にはこれも水膨れとなろう。これから当分まめの手当てという夜業が増える。焼き針を患部に突き刺しとおして水を抜き取り,ヨーチンで消毒し,絆創膏テープで患部の皮膚に皺が出来ぬよう慎重に巻く。皺があると、ブヨブヨの水膨れの皮膚が摩擦で剝け易い。かくて4日目無事終える。お大師さん有難うございます。