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四国遍路の事 -----はじめにーーー

1。 こんにちは.まもなく82歳になる爺様です。西村峯男と申します。今から 丁度20年前、1997年2月25日より4月2日までの37日間、風雨寒暖意に介さず毎日30キロ、約1200キロを一人ぼっちで歩きとうした四国88か所の遍路紀行をこれから歩き遍路したいとお考えの方に参考までにご披露したく、孫に頼んでブログを開設してもらいました。紀行文は37日分あり、5日後の2月25日(土)からご案内しようかと考えて居りますが、日により長文、短文入り混じっておりますので果たして来る4月2日に満願成就するかはわかりません。この点ご容赦下さい。  

2.さて、私が四国遍路するに至った背景をご案内します。NHK学園の教養講座に写経講座があります。機関誌(仏の心)1997年夏季号に記載された私の投稿文を下記ご案内します。おおよそはご理解いただけると思います。

 ”写経講座を受講して、私は初めて写経にも古来からの約束事があることを学んだ。それまで自己流で勝手に書いていたのとは異なりいろいろと制約がある。ただし、静謐、清浄な雰囲気の下で筆を執り,無私の己を一刻たりとは言え目指そうとする気持ちはいずれの場合も変わらない。自己流中心の写経ではなく、受講して教えられた千年以上にわたり受け継がれてきている不易の伝統を持つ写経の重みに思いをはせながら、これからも一層写経に精進したいと考えている。

 般若心経のこころを悟り、自分の生活の中でどの程度それを実践しうるのか。これは生涯の課題と思っているが、少しでもそれを具体的実践を通して体得したいと思い、去る2月25日より空海の歩いた四国八十八か所霊場へ歩き遍路の旅に出た。

 通しのひとり歩き遍路は肉体的にも精神的にもかなりの重圧ではあった。しかし、弘法大師のご加護があってか、出発してから37日目の4月2日、八十八番目札所である大窪寺に無事納経を済ませ、1200キロに及ぶ遍路完歩を達成した。大窪寺の大師堂では、納経中知らず知らずの嗚咽と感涙を抑えることができなかった。この時の自分の状態こそが、囚われの無い生まれたばかりの赤子と同じ無垢な心をもっていたのではないかと実感している。たとえ、一瞬であれ、これこそが一日も休むこと無く、山野海岸をひたすら毎日30キロ以上歩き続けた37日間が教えてくれた般若心経の心だと思う。あの大師堂でこぼした涙のしずくを心経の心として、生涯掌中の珠として大切に育んでいきたいと思っている。” 

3。背景はある程度,お分かりいただけたでしょうか。次に,ニッポン放送が1999年5月に(我が人生最良の日)なる作文を募集していましたので、88番大窪寺で結願した日の感動を投稿したところ、6月1日朗読放送さ れました。引用文に写経作文と重複するところあるのはご容赦下さい。

さあ、四国の風となって、はるか1200キロの彼方えご出発下さい。

 ”山間の急坂の前方に、四国88か所札所の88番目の結願寺である讃岐の国大窪寺の山門が桜吹雪の中から浮かび上がってきた。平成9年4月2日の事であった。

 振り返れば、これより37日前の2月25日、小雪舞う阿波鳴門の1番札所霊山寺を後にして、土佐、伊予の寺々を巡り巡ってこの讃岐の大窪寺までの一人ぼっちの通しの歩き遍路は肉体的にも精神的にも相当な重圧であったが37日目にして無事大窪寺に到着、全行程約1200キロに及ぶ遍路完歩を達成した。

 思えば3年前、62歳で40年間のサラリーマン生活を引退。比較的平坦であった我が人生に何か記念碑をと予て考えていたが,たまたま般若心経の写経を昔より続けていた機縁もあってか、弘法大師が1200年前に自ら歩き拓いた四国霊場を我が足で辿ってみたい思いが昂まり、決意の印に頭も剃り、驚く家族を尻目に四国へと向かった。

 大窪寺の大師堂で大願成就お礼の般若心経を唱えているとき、知らず知らずの嗚咽と感涙を抑えることができなかった。37日間の想い出がよぎる。----3センチ大の無数の豆とのたたかい。足が痛みで悲鳴をあげている。僅か8キロほどのリュックの紐が肩に食い込む痛み。遍路殺しの山越え峠越えの急坂悪路。疲れのあまり山中で幾度おう吐したことか。肉体は苦しかったが、四国の人々の遍路への優しさや、ひたすら無心に歩く喜びに包まれ、心は輝いていた事などがーーー。

 そして、今、大師の尊像の前で赤子のような無垢な喜びに浸る至福の一刻。これこそが四国の山野海岸を雨の日も風の日も毎日30キロ以上歩き通した夢中の37日間の凝集の一瞬。大窪寺で流した涙の一滴を我が心の糧として、風化させることなく、大切に育んでいきたいと思っている。”